日本人はなぜ考えようとしないのか―福島原発事故と日本文化

個数:

日本人はなぜ考えようとしないのか―福島原発事故と日本文化

  • 出版社からのお取り寄せとなります。
    入荷までにおよそ1~3週間程度かかります。
    ※商品によっては、品切れ等で入手できない場合がございます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【出荷までの期間】
    ■通常、およそ1~3週間程度

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆上記期間よりも日数がかかる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆品切れ・絶版等により入手できない場合がございます。
    ◆品切れ・絶版等の確認に2週間以上かかる場合がございます。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • 店舗受取サービスはご利用いただけません。

  • サイズ B6判/ページ数 210p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784788514157
  • NDC分類 361.5
  • Cコード C1010

出版社内容情報

大事故の原因は日本語にある?!

福島原発事故から三年半、事故の十分な原因究明もなされず、安全基準も曖昧
なままはやくも原発再稼働が決まりました。根拠のない「安全神話」はそのま
まに原発維持・推進は容認されつつあります。本書は、『日本人の〈わたし〉
を求めて』(小社刊)で、日本文化と西洋文化の異質性を、確固とした〈わたし〉
のある西洋語と主語のない日本語の違いから剔抉した著者が、今回の原発事故
について、その処理のしかた、責任の取り方、今後の対策の立て方などを検証
しながら、その根本原因はやはり日本文化の特性にあること、特に確固とした
主語がなく、主体が断片化していることにあることを、説得的に説いたもので
す。もちろん日本文化にいい面はありますが、敗戦、大事故などの逆境では非
常な弱点をもっていることを認識すべきだと言います。小粒ながら力作です。

内容説明

原発事故の根本原因は現代日本文化にある!福島原発事故はなぜあのような大惨事になったのか?主語のない日本語、日本庭園の構造、絵画・仏像など、一見迂遠と思われる日本文化、日本人の精神構造の分析から、この大事故を徹底考察する。

目次

第1部 日本人の“わたし”を考える(“わたし”について;“わたし”はどこにいるか―見ることについて;世界の外に存在する“わたし”と世界のなかを自由に移動する“わたし”―ルネサンスと日本の伝統的絵画;“わたし”のありかたの違い―ヴェルサイユ宮殿の庭園と桂離宮の庭園について;“わたし”と“わたし”の出会いかた―挨拶について ほか)
第2部 福島第一原発事故をめぐって(非連続で断片的な思考と“わたし”のありかたの問題;見立てに走る精神;「和魂洋才」方式の破綻)

著者等紹介

新形信和[ニイガタノブカズ]
1940年、熊本市に生まれ、福岡市で育つ。1968年、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、愛知大学国際コミュニケーション学部名誉教授。専門は比較思想、比較文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。