目次
惟準の生誕と幼少期
加賀大聖寺および越前大野での修業
第一次長崎遊学時代と父洪庵の死
洪哉(惟準)の長崎への再遊
惟準のオランダ留学
幕府崩壊による惟準の帰国
朝廷への出仕、典薬寮医師に任命
浪華(大坂)仮病院の設立とボードイン
大村益次郎の遭難とボードイン・惟準らの治療
大阪軍事病院の創設と大阪府医学校病院のその後〔ほか〕
著者等紹介
中山沃[ナカヤマソソグ]
旧姓・蒲原。大正14年5月16日、新潟市に出生。昭和24年3月、新潟医科大学卒業。昭和24年3月、米子医科大学助手。昭和26年4月、鳥取大学医学部助手。昭和28年6月、鳥取大学医学部講師。昭和29年7月、医学博士。昭和29年11月、鳥取大学医学部助教授。昭和32年1月、岡山大学医学部助教授。昭和37年11月、文部省在外研究員(ドイツ、ゲッチンゲン大学)。昭和45年4月、岡山大学医学部教授。昭和61年4月7日、中国吉林省延辺医学院名誉教授(第1号)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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