ヒロシマを持ちかえった人々―「韓国の広島」はなぜ生まれたのか (新装増補版)

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 381p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784773629088
  • NDC分類 369.37
  • Cコード C0036

出版社内容情報

米国は1945年8月6日広島に、8月9日長崎に人類史上初の核兵器・原子爆弾を投下した。その熱線や爆風で、日本人と共に約7万人の朝鮮人が被爆し、約4万人が死んだとされる。生き残った朝鮮人はその後、原爆後障害に苦しみながらもさしたる補償も受けられず、今日まで〈棄民〉扱いされてきた。本書で著者は、在韓被爆者(外国人被爆者)には日本人被爆者と同等の補償を受ける権利があることを訴えると共に、なぜ彼らが当時、広島にこんなにも多く在住していたのかを豊富な研究・取材によって明らかにする。

【第一部】在韓被爆者 闘いの軌跡
◆第一章 見捨てられた在韓被爆者(1945~1966年)
◆第二章 立ちあがった在韓被爆者(1967~1978年)
◆第三章 補償を拒みつづける日本政府(1979~1989年)
◆第四章 人道的支援ではなく補償を(1990~)
【第二部】「韓国の広島」を生みだしたもの
◆序 章 陜川との出会い
◆第一章 「韓国の広島」と呼ばれる陜川
◆第二章 陜川における日本の植民地政策とその実態
 一、「韓国併合」前夜の陜川
 二、植民地支配の実態
◆第三章 陜川の人々の暮らし
◆第四章 広島と朝鮮人
 一、軍都広島の形成
 二、広島の朝鮮人
◆第五章 陜川から広島への道
◆終 章 原爆地獄から祖国への道
◆(増補)21世紀激動の幕開け、在韓被爆者にさしこんだ希望の光
◆(年表)内外被爆者 不平等の系譜
◆(コラム)アメリカの原爆投下と日本/辛泳洙さんの想いをたどって/沖縄と韓国の被爆者/韓国縦断一五日間の被爆者交流日誌/棉花と移民県広島と在外被爆者/陜川の被爆者へのインタビュー など多数


まえがき

 二〇世紀最後の八月六日、大韓赤十字社ソウル支社において、韓国原爆被害者協会(以下、協会)主催の「第三三回韓国原爆犠牲者追悼式」が行われた。

 追悼式では、在韓被爆者の援護と被害補償を求めて一九六七年に協会を創立し、翌年八月六日に「第一回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」を敢行した徐錫佑さんが、祭壇の前で、誰よりも深々と長い祈りを捧げた。

 原爆の火の海のなかで愛娘二人を亡くしてから五五年、協会を創立してからでも三三年。その長い歳月のあいだに、妻が、数多くの協会運動の盟友たちが、補償も援護も受けられず、原爆後障害に苦しみながら、この世を去っていった。徐錫佑さんの静かな祈りは永遠に続くかのようであった。

 日本は、自らが今世紀前半に犯した大きな過ちを、とうとう今世紀中に償うことができなかった。

 わたしは祭壇の前に立ち、そのことを、日本によって人権を蹂躙され、命までも奪われた数万名もの韓国人原爆犠牲者に詫びた。そして、たとえ二一世紀になろうとも、一人でも多くの在韓被爆者が生きているうちに、「生きていてよかった」と思えるような補償と援護を実現するために、力を尽くすことを誓った。

 願わくば、この本が、韓国原爆被害者の惨状の原因を突き止め、明らかにし、その対策を準備するための、一粒の小さな種とならんことを。そして、この本を読んでくださる方の心に、辛泳洙さんの遺した言葉が、たんぽぽの綿毛のごとく飛びひろがらんことを。

在韓被爆者が生きてきた20世紀100年の歴史を掘り起こし、日本現代史における「歴史認識」に一石を投じる歴史書。これで、在韓(在外)被爆者問題のありかがすべて分かる。労作「年表 内外被爆者 不平等の系譜」所収。

内容説明

在韓被爆者が生きてきた二〇世紀一〇〇年の歴史を掘り起こす。

目次

第1部 在韓被爆者 闘いの軌跡(見捨てられた在韓被爆者(一九四五~一九六六年)
立ちあがった在韓被爆者(一九六七~一九七八年)
補償を拒みつづける日本政府(一九七九~一九八九年)
人道的支援ではなく補償を(一九九〇年~))
第2部 「韓国の広島」を生みだしたもの(陝川との出会い;「韓国の広島」と呼ばれる陝川;陝川における日本の植民地政策とその実態;陝川の人々の暮らし ほか)

著者等紹介

市場淳子[イチバジュンコ]
1956年、広島県生まれ。大阪府在住。1979年1月に初めて韓国を訪れ、在韓被爆者の実態に接して以来、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の活動にたずさわり、現在会長。大阪外国語大学、神戸女学院大学朝鮮語講師
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。