未完の沖縄闘争

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 540p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784773629026
  • NDC分類 219.9
  • Cコード C0331

出版社内容情報

 なりふり構わず戦争加担システムの構築に突き進む今日の日本。ガラガラと音を立てて崩壊する民主主義の理念。絵にかいた餅になりはてた日本国憲法――こうした「現在」につながる歴史の中で、1972年の沖縄返還はどういう役割を担ったのか。
 本書は〈沖縄同時代史シリーズ〉の「番外編」として、著者が1962~1972年の約10年間に発言した文章を収載。欺瞞に満ちた沖縄返還を徹底論破し、主体的民衆が問いかけた意味を詳解。40年間の記録で日本が見えてくる。

"はじめに 手段としての沖縄返還、目的としての解放・変革

第一部 米軍支配の矛盾と破綻
1 沖縄総選挙終わる
2 砂糖自由化と沖縄産業
3 転機に立つ祖国復帰運動――沖縄問題の現段階
4 ドル防衛策に苦悩する沖縄
5 遠ざかり行く沖縄
6 一二回目の「屈辱の日」――沖縄の四月二十八日
7 占領下の伊江島――その苦難と闘いの歴史
8 米国の「沖縄人事」とその
9 沖縄主席公選闘争のゆくえ

第二部 ベトナム戦争下の沖縄
1 基地沖縄の内幕
2 安保体制下の沖縄とベトナム戦争
3 佐藤訪沖の意味とその背景
4 佐藤訪沖と日米関係
5 沖縄からの二つの訴訟
6 沖縄総選挙の残したもの
7 岐路に立つ沖縄――基地と施政権
8 沖縄裁判移送問題のゆくえ
9 沖縄教育権返還論の二面性

第三部 教公二法阻止闘争から二・四ゼネストへ
1 二分される沖縄――教公二法をめぐって
2 沖縄返還論の現実と運動の原理
3 沖縄返還論の感性と陥穽
4 佐藤訪米の結末と沖縄返還運動
5 日米会談後の沖縄――新段階を迎えた祖国復帰運動
6 沖縄の対決迫る――主席公選
7 復帰運""沖縄""
3 本土への挑戦――沖縄全軍労ストの位置
4 沖縄の衝動と思想
5 〈意見〉あらためて復帰とは何か
6 沖縄の戦後史――帝国主義的再編と人民の抵抗史
7 〈意見〉沖縄国会――何が問われているか
8 「沖縄国会」を越えて
9 孤立した沖縄全軍労闘争――革新「勝利」の選挙総括のなかで

解説 いま、『未完の沖縄闘争』をどう読むか――屋嘉比収"

手段としての沖縄返還、目的としての解放・変革

 この本は、『沖縄同時代史』(全一〇巻)の別巻として出される。六〇年代初めから七二年の沖縄返還にいたる約一〇年間に、『世界』(岩波書店)、『現代の眼』(現代評論社)、『展望』(筑摩書房)、『エコノミスト』(毎日新聞社)などに載せた主な文章を、共同執筆・対談・インタビュー等を除いて、時系列に沿って収録したものである。

 この本に収録した文章を、改めて読み直してみて感じたことは、それぞれの時代に向き合って書いた文章と、過去を振り返って時代の流れを整理した通史的記述の間の差異、あるいはそれぞれの独自性である。別の言い方をすれば、あの時代の雰囲気は、あの時代の中で行われた発言をそのまま提示することによってよりよく伝わるという側面があるのではないのか、ということである。沖縄の日本復帰(返還)後、約三〇年の発言を約一〇年間にわたって継続的に出版した『沖縄同時代史』の前史にあたる部分をあえて読者に提供する意味があるとすれば、それはそこにあると思う。

 この時期わたしは東京に住んでいた。東京都庁に勤めて生活の糧を得ながら、中野好夫主宰の「沖縄資料センター」で、資出した束の間の相対的安定期がもろくも崩れ始めたのがこの時期である。

 この本は、占領支配体制の受益者層の代表政党である沖縄自民党の議席が後退した第六回立法院議員選挙結果の分析(一六頁「沖縄総選挙終わる」)から始まる。対日平和条約の締結期(一九五一年)以降、米軍支配からの脱却をめざす沖縄の民衆運動は、日本(祖国)復帰運動と総称されてきたが、六〇年代の前半期は、とりわけ自治権獲得・主席公選運動としての特色が強かった。

 一方「島ぐるみ闘争」の衝撃によって沖縄問題の存在を知らされたヤマト(日本本土)でも、復帰運動に呼応するものとして、沖縄返還運動が組織され始める。だがその中には、復帰運動に対する情緒的理解が色濃く残っており、また、原水爆禁止運動における社共の路線対立が沖縄返還運動にも波及するという状況があった。

 こうした状況を踏まえて、日本復帰(沖縄返還)は、沖縄解放と日本変革の手段であって目的ではない、ということを提起しようとしたのが、「転機に立つ祖国復帰運動――沖縄問題の現段階」(三六頁)である。それは、日米同盟を基軸とする戦後日本の政治が、アメリカによる沖縄の分離支配を不可欠の要素としてい葉として「反戦復帰」という言葉が多用されるようになってくる。

 一方、日米両政府にとっても、同盟国であるアメリカが、日本の領土と人民を支配し続けることが、同盟の維持強化の上で桎梏となり始めていた。佐藤(栄作)政権は、残された最大の戦後処理として、沖縄問題に積極的アプローチを示すようになった。佐藤訪沖から教育権分離返還論にいたる過程は、その試行錯誤の過程といえよう。その間も沖縄民衆の闘いは、前進し続けた。そして、教公二法阻止闘争は、アメリカの排他的沖縄支配が持続不可能であることを示した。

 六七年になると日米両政府は、アメリカのベトナム政策の破綻、日米の政治的経済的力関係の相対的変化、対沖縄政策の破綻を受けて、日米の役割分担再調整の一環としての沖縄返還に取り組むことになる。いいかえれば、日米同盟再編強化のための協議が、沖縄返還交渉という名目の下にすすめられることになった。それは、六〇年に改訂された安保条約の固定期限が切れる七〇年をにらんでの動きでもあった。

 「沖縄返還」は、いまや日米両政府の政策課題になった。それにともなって、「沖縄返還」のあり様をめぐるさまざまな論議が噴出した。だが、現実のてもなお、沖縄返還が手段であって目的ではないということが明確には認識されていなかったこと、いいかえれば、沖縄返還それ自体が自己目的化されていたことにあるといえよう。他方、すでにこの時期、沖縄返還運動(祖国復帰運動)を超える闘いが自らを表現する言葉として、「沖縄闘争」という言葉が使われ、市民権を得つつあった。

 二・四ゼネストの挫折後も、佐藤訪米阻止闘争、沖縄返還協定粉砕ゼネストと、沖縄闘争は続いていくが、日本全体としてみれば、返還協定を審議する「沖縄国会」の論議の焦点は何か、といった方向へすすみつつあった。

 これに関するわたしの立場は、「沖縄返還協定を受け入れるか否かの決定権は、沖縄の住民投票に委ねよ」というものであった。しかし当時は、人民自身に自己決定権を与えよ、という主張は、少数異端の主張に過ぎなかった。沖縄で、自己決定権の行使としての住民投票が実現したのは、実にそれから四半世紀が過ぎた、九七年の名護市民投票によってであった(意思表明としての住民投票は九六年の県民投票である)。だが、市民投票を実施した市長自身が、市民投票に法的拘束力は無い、として、市民の意思を無視したため、市民の自己決定権はある。

62~72年に発信した文章を収録。欺瞞に満ちた「沖縄返還」を徹底論破し、戦争加担システムを構築した日本を鋭く分析。その指摘は効力を失っていないどころか、現在の日本そのものだ。

内容説明

「沖縄同時代史シリーズ」の「番外編」として六二~七二年の発言を収載。沖縄返還の欺瞞を論破し、主体的民衆が問いかけた意味を詳解。

目次

第1部 米軍支配の矛盾と破綻(沖縄総選挙終わる;砂糖自由化と沖縄産業 ほか)
第2部 ベトナム戦争下の沖縄(基地沖縄の内幕;安保体制下の沖縄とベトナム戦争 ほか)
第3部 教公二法阻止闘争から二・四ゼネストへ(二分される沖縄―教公二法をめぐって;沖縄返還論の現実と運動の原理 ほか)
第4部 二・四ゼネスト以後(沖縄は反安保の砦;思想としての“沖縄” ほか)

著者等紹介

新崎盛暉[アラサキモリテル]
1936年東京生まれ。1961年東京大学文学部卒。東京都庁勤務のあいだに、中野好夫主宰の「沖縄資料センター」の主任研究員として沖縄戦後史の研究にたずさわる。中野好夫との共著『沖縄問題二十年』で沖縄戦後史研究の端緒を開き、『戦後沖縄史』においてその基礎を確立した。沖縄の日本復帰に際して、沖縄大学存続闘争に関わり、74年に同大に赴任、83年4月から89年3月まで学長として同大再建に尽力する。2001年4月、再度学長となる。沖縄移住当初からCTS(石油備蓄基地)建設に反対する住民運動に関わり、その支援のため「CTS阻止闘争を拡げる会」(のち「琉球弧の住民運動を拡げる会」)を組織し、代表世話人となる。82年には「一坪反戦地主会」を組織、93年からは沖縄発の問題提起と情報交換の場として、季刊誌『けーし風』の刊行にかかわっている。99年8月から「沖縄平和市民連絡会」代表世話人。沖縄大学名誉教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。