エリア・スタディーズ<br> アルメニアを知るための65章

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アルメニアを知るための65章

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  • サイズ B6判/ページ数 359p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784750329895
  • NDC分類 302.299
  • Cコード C0336

出版社内容情報

●内容紹介(版元ドットコムより)
黒海とカスピ海に東西を挟まれ、南にティグリス、ユーフラテス川の沃土を望むアルメニア高地。古来より東西交易の拠点として繁栄し、それゆえ周辺大国から侵略を受けてきたアルメニアの歴史、文化、社会を65章で詳説する。文明の十字路を知る入門書の決定版。

●目次(版元ドットコムより)

 はじめに
 アルメニア共和国の行政区

I アルメニア 石・水・陽光
 第1章 ティグリス・ユーフラテス川の源流地帯――古来著名なアルメニア高地
 第2章 アルメニア語は印欧語族――言語への愛着はかくの如し
 第3章 気候と風土――高地の石と水、そして陽光
 第4章 民族形成は古代に遡る――ハヤスタンとアルメニア

II 歴 史
 第5章 民族形成のるつぼ ウラルトゥ時代――前13世紀前6世紀
 第6章 アルタシェス王朝期 交易都市アルタシャト――前2世紀前1世紀
  コラム1 英雄ヴァハグンは紺青の海・ヴァン湖で誕生する――ドラゴン伝説
 第7章 アルシャクニ王朝の盛衰――1世紀5世紀
  コラム2 決死の「アヴァライルの戦い」――信仰の自由をかちとる
 第8章 ペルシャ・ローマによる支配時代――5世紀7世紀
 第9章 アラブ支配下の課税制度で経済は崩壊――7世紀8世紀
 第10章 中世の一大繁栄期築いたバグラトゥニ王朝――栄華極めた新都アニ
 第11章 セルジュークの侵入とザカリアン家による復興――11世紀13世紀
 第12章 キリキアン・アルメニア 東西交易で繁栄――12世紀14世紀
 第13章 モンゴルの襲来と入り乱れる諸勢力――13世紀16世紀
 第14章 オスマン朝テュルクとサファヴィー朝ペルシャの支配下――商業的発展と民族離散
 第15章 ロシアの南進 「ロシア領アルメニア」の形成――18世紀19世紀
 第16章 露土戦争とアルメニア――「アルメニア問題」が国際問題化
 第17章 「タンズィマート改革」の挫折と反動――改革の不履行とアルメニア人
 第18章 一九世紀アルメニア人の民族的覚醒――「ゼイトゥンの闘い」を嚆矢に
  コラム3 ハチャトゥル・アボヴィヤン(一八〇九一八四八年)
 第19章 革命政党の創設とその闘い――政治的独立か改革か
 第20章 第一次大戦後処理過程で国際情勢は転変――「アルメニアの独立」のゆくえ
 第21章 故郷カルスの帰趨 独・土から英軍支配下のコーカサス――係争地問題の浮上
 第22章 テュルク軍の侵攻でイェレヴァンは風前の灯火に――アルメニア・ソヴェト政権の成立
 第23章 石油が焦点の「ローザンヌ」はアルメニアの独立を反故に――「ジェノサイド大罪」を罰せず
 第24章 ソヴェト・アルメニアは過渡期の経済建設へ――人々は強制的集団化に抵抗
 第25章 ソ連邦内で相対的高位のアルメニア経済――彌縫策に満ちたモスクワの「民族政策」
 第26章 1956年「スターリン批判」から独立まで――「ソ連邦に包摂された70年」に終止符
  コラム4 ミコヤン副首相と「北方四島」問題――セルゴとの対話
  コラム5 トゥビリシ、バクー、イェレヴァンで学んだころ
  コラム6 一九八九年「セヴァン湖フォーラム」に参加して

III 政治・経済
 第27章 経済封鎖で熱湯供給も途絶える 貧窮化する民営化後の農村――1993年夏と99年晩秋
  コラム7 国境通過情報
 第28章 最近の経済動向――バランスのとれた外交によって比較的に安定
 第29章 最近の政治動向――新憲法の民主政下でも政情は安定せず
 第30章 ナゴルノ・カラバフ解放の闘い――民族自決への道
 第31章 ナゴルノ・カラバフ帰属問題の起こり――「1921年7月の変」・住民の意思を無視
  コラム8 「大アルメニア主義」「二〇%占領」「ホジャルィ」についての論評
 第32章 隣接する民族が平和裡に共生するには――一つの民族のいかなる特権をも無効とすること
 第33章 南コーカサス地域発展の展望――「地域安定協約」に基づく南コーカサス共同体の創設

IV アルメニア人ジェノサイド
 第34章 スルタン・ハミトによる虐殺――1894年~96年
 第35章 スルタン派の反革命に次ぐ「アダナの虐殺」――悲劇のアダナ・1909年春
 第36章 アルメニア人ジェノサイド 1915年~23年――史実を直視しはじめたテュルク市民
 第37章 ジェノサイドを引き起こしたもの――帝国主義戦争下の民族排外主義

V ディアスポラの起こりと世界のアルメニア人
 第38章 アルメニア人の移住 ディアスポラの起こり――平和裡に相互作用して
  コラム9 アルメニア人の活躍
 第39章 ジュガのアルメニア交易商人の活躍――フェアな商行為と約束厳守
 第40章 ノル・ジュルファからインドへの道――東インド会社興隆の礎にも

VI 生活・文化
 第41章 世界初のキリスト教国――教会は使徒性重視、民族性発露の要石に
  コラム10 「キリスト教一七〇〇年大祭」を祝う
 第42章 アルメニア文字の創始――教育・伝道、修道院の開設へ
 第43章 初期アルメニア文学の興隆――5~6世紀アルメニア文学の黄金時代へ
 第44章 中世期の文学――頂点に達したミニアチュア(細密画)
  コラム11 世界中から攻究の徒が訪ねるマテナダラン
 第45章 初期アルメニア教会建築の展開――6~7世紀には傑出した建造物が多数登場
  コラム12 建築史のフィールドに立って――アルメニア共和国でのキリスト教遺構調査
 第46章 首都アニ=民族感情の鮮烈な表現――独特の様式誇る美麗教会建築群
 第47章 深夜に至るも歓待のテーブル――アルメニア人の〈ホスピタリティ優り〉は古代より
 第48章 今に残る「異教」の時代の文化・慣習――2月は「火と太陽の神ミフル」の月
 第49章 アルメニアの食文化――3000年を超えて伝わる料理
  コラム13 アルメニア料理への誘い
 第50章 教育問題――根本的な修正が必要とされている
 第51章 アルメニアの近現代文学――文化の継承、発展に多大の貢献
 第52章 ホヴァネス・トゥマニヤンの魅力――アルメニアの文学
 第53章 アルメニアの音楽――民衆がいかに音楽を愛しているか
  コラム14 ババジャニヤンを弾いて――神聖さを湛えた民族舞踏が目前に
  コラム15 美的世界を国際的に追求――サヤト・ノヴァとパラジャーノフ
 第54章 アルメニアの美術――欧州でも最高水準の美術館
  コラム16 美しいヴァン湖畔・ゴルキーの少年時代――トラウマを芸術で表現
 第55章 アラブに聞こえたアルメニア絨緞――地域によって独自のデザイン
 第56章 アルメニアの映画――観客に新しい思想や感覚が生まれる
  コラム17 「アルメニア・フィルム・セレクション」を企画して

VII 日本とアルメニア 人びとの交流――それぞれの思いをのせて
 第57章 横浜のダイアナ――アルメニア難民の渡米を助ける
 第58章 ハチャトゥリヤンとその弟子・寺原伸夫――受け継がれるロシア・ソヴェト音楽
 第59章 アルメニアとの学術交流――懐かしい思い出の国
 第60章 私とアルメニア――アルメニア地震後の看護活動
 第61章 イェレヴァンに灯る魂の光――ハチャトゥリヤン・ホールの情熱的な夜
 第62章 地理教育研究会の「アルメニア友好訪問の旅」――草の根交流を実施して
 第63章 「愛知万博」ホスト村 作手とアルメニア――発展する国際交流
 第64章 私と日本語――アルメニア人が学ぶ遠い国の言葉
 第65章 『遠野物語』に惹かれて――言葉の「壁」を突き破る

 図書・資料案内
 おわりに

●本書より(版元ドットコムより)

はじめに

 アルメニアは、ギリシャ、イタリア、そしてわが国でいえば秋田県と同じくらいの緯度にあたる。アルメニア高地には太陽光が充分に降り注いでいる。かの地からの手紙には、必ずと言ってよいほどに「陽光あふれるアルメニアより」と記される。彼らはきっと《太陽の子》に違いないとさえ思われる。
 アルメニアというと、聖書の「ノアの方舟」で名高いアララト山の名を思い浮かべる人が多い。しかし、アララト山も一九二一年以降、テュルク領となり、他のアルメニアの地名同様、テュルク語「アール・ダア(アール地方の山)」呼称に変えられた。だがアルメニア人は、国境の向こうになったアララト山を今も崇敬の念をもって眺めている。アララト山の秀麗な姿を眺めるには、北側(現アルメニア共和国)からが断然すばらしい。標高差が四〇〇〇メートルあるからだ。
 アルメニア高地は黒海とカスピ海の陸峡にあり、「肥沃な三日月」地帯(ティグリス・ユーフラテス川流域からナイル川河口にかけて)の北に位置し、古来より交易の十字路として栄えた。そのため、隣接する勢力間の争奪の的にもなったが、戦乱のなかでもアルメニア人は暴虐に屈せず耐えしのび、自らの生活・文化を営々と築いてきた。歴史上、国家として独立していた時期は断続的であったものの、非独立の時期に文学、工芸、建築の黄金期を迎えている。彼らの文化の発展には必ずしも独立国家が必要とされたわけではなかったのだ。
 アルメニアは、長い歴史と豊かな生活・文化を有するにもかかわらず、わが国ではあまり知られなかった。四〇〇年にわたるオスマン・テュルク帝国下の統治と、それに続く七〇年間のソ連邦への包摂が、その一因であろう。
 近年、テュルク政府の欧州連合(EU)加盟問題や、同政府による対アルメニア国境封鎖問題などから、「アルメニア人ジェノサイド」がにわかにクローズアップされている。これは多くの国や国際機関が史実であると認めているものの、テュルク政府はジェノサイドの事実を認めようとしない。歴史の直視と犠牲者への哀悼を踏まえた上でこそ、お互いの信頼関係は成り立ち、平和への道が築かれるはずで、それなくしては、アルメニアへの「犠牲者に対する補償」や「郷土の返還」も成し遂げられないだろう。これらすべてが今日の「アルメニア問題」であり、戦争犯罪、人道に反する罪に時効がない以上、かならず解決しなくてはいけない問題である。
 (…後略…)

目次

1 アルメニア 石・水・陽光
2 歴史
3 政治・経済
4 アルメニア人ジェノサイド
5 ディアスポラの起こりと世界のアルメニア人
6 生活・文化
7 日本とアルメニア 人びとの交流―それぞれの思いをのせて

著者等紹介

中島偉晴[ナカジマヒデハル]
1939年東京・目黒の生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。産業団体勤務・定年退職。国際政治経済、ソ連論、コーカサス地域を研究。1980年以来アルメニアを訪問。1984年日本アルメニア研究所設立。1984、87年テュルク領アルメニア高地訪問。1993、98年ナゴルノ・カラバフに入る。2000年和光大学オープンカレッジ講座「アルメニアの民族・文化・歴史」講師

バグダサリヤン,メラニア[バグダサリヤン,メラニア][Baghdasaryan,Melania]
1964年イェレヴァン生まれ。アルメニア国立イェレヴァン大学言語学部ローマン・ゲルマン語学科英語専攻。国立サルダラパート民族誌学博物館。1992年来日。1995年より朝日カルチャーセンター・アルメニア語講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。