中国民衆の戦争記憶―日本軍の細菌戦による傷跡

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中国民衆の戦争記憶―日本軍の細菌戦による傷跡

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  • サイズ A5判/ページ数 381p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784750324579
  • NDC分類 210.75
  • Cコード C0036

出版社内容情報

日中戦争の末期1941年末~43年、日本軍による細菌戦被害をうけた中国湖南省常徳地域民衆の心に秘めた悲惨な戦争記憶の実態を7年にわたって現地踏査・聞き取り調査を積み重ね、文化人類学の視点から戦争が社会や人間の心理に与えた深刻な影響を考える研究報告。

序 章 民衆の戦争記憶と向き合う
第1章 民衆の戦争記憶を「歴史」にする
 1 細菌戦犯罪の追及と文化人類学者としての自覚
 2 「記憶の場」を失った記憶
 3 「探し集めた」記憶
 4 社会生活史の「記録」としての記憶
 5 忘却と記憶
第2章 常徳という地域
 1 歴史と地理
 2 「城」と「郷」との間
 3 「郷鎮公所」と保甲組織
 4 父系血縁集団宗族が聚居する村々
第3章 記憶にある細菌戦被害
 1 常徳城内の被害
 2 被害の全貌
 3 ペスト被害の広がり
 4 怨恨と恐怖の極まり
第4章 命を全うしようとする文化の悲哀
 1 民間信仰や巫俗で疫病退治
 2 漢方と土俗法で治療
 3 「完屍」と「入土為安」
 4 「重葬」(丁重に葬礼を行うこと)の文化と葬式
第5章 ペスト発生後の民国政府の対応と民衆社会
 1 民国政府の防疫態勢とその活動
 2 政府側の歴史史料に見る民衆の防疫に対する抵抗
 3 郷公所役人の蕭宋成の回想
 4 「疫区」石公橋警察所に勤務する警察官の証言
 5 石公橋鎮で救助された人びとの回想
 6 戦時における上からの防疫
第6章 細菌戦被害のその後
 1 再び栄えることのない町と村
 2 滅びた宗族
 3 人生の「三大不幸」
 4 ぎすぎすした人間関係
 5 一生背負っていく傷跡
第7章 被害記憶の保存
 1 被害記憶に関する分析
 2 濁流のような被害記憶
 3 外傷性記憶
 4 記憶のディスコース
 5 記憶のコメモレイション
終 章 民衆の戦争被害記憶の力
 1 「忘却の政体」と「無罰化」
 2 「戦場のあるがまま」を描写した文学作品
 3 他者への想像力の展開と「知識」の普及が必要
 4 民衆の戦争被害記憶の力
あとがき
資 料
 1 日本帝国主義強盗が常徳市でペスト菌をばらまく罪業に関する回想(譚学華)
 2 常徳広徳医院の創立とその運営について(汪正宇)
参考文献
索 引
 事項索引
 地名索引
 人名索引


1
 本書は、中国民衆の戦争記憶を記述し分析するものである。
 文化人類学を専攻する私は、一九九八年以来七年にわたり、日本軍七三一部隊による細菌戦被害地の一つ、中国湖南省常徳地域に何度も赴き、主に細菌戦の戦争被害に関して現地の被害者や遺族を訪問し、被害記憶の聞き取り調査を行った。それと同時に歴史的資料を収集し、被害地の市街区や村々を踏査してきた。本書は、この七年間に行った調査研究の報告書である。
 一九九七年に、日本軍による細菌戦被害に関する国家賠償訴訟が、中国の被害者による原告団と日本人弁護士による弁護団によって東京地裁に提訴された。常徳では、被害を受けた本人や遺族によって常徳七三一部隊細菌戦被害調査委員会が結成された。調査委員会には提訴のときから二〇〇二年までに、およそ一万五千通の被害陳述書が届けられた。現地調査をした際、これらの陳述書を大量に読むことができた。
 人びとの語りを聞いたり陳述書を読んだりするうちに、民衆一人ひとりの心に秘めた過去の戦争に関する悲惨な記憶は、賠償訴訟が起こされるまでは、必ずしも公の場で語られたことはなく、また、そこから体系的に戦争の被害像が構築されたこともなかったと気づいた。過去の戦争に対する政治的学問的反省と民衆の生の記憶との間には、かなり距離があるとつくづく思った。
 それで、民衆の戦争体験のオーラルヒストリーを記録し体系的に整理することの意味を感じた。本書は、細菌戦被害を受けた常徳の人びとのオーラルヒストリーを主として文化人類学的視点から再構成する試みである。語り手の個人的体験や記憶に基づき、彼らの視線に立って戦争を見、それを通して、戦争が社会や人間の心理に与えた深刻な影響を考えることが、本書の趣旨である。
 個人の記憶を歴史への「乗り物」(vehicle)とする場合、歴史学の言う「正確は義務である」という歴史学の前提に対して、新しい理解が必要となる。即ち、人間の記憶の誤差や曖昧さを考慮に入れることである。誤差や曖昧さがあったからと言って排除するのではなく、個々の事実についてできるかぎり多くの人から証言を得、相互に照合するように心がけた。また、当事者の口述ばかりではなく、関連する民国や地方政府の会議記録や報告書、回状などの公文書、軍部の電報、医療関係者の回想録などの史料、そして、常徳被害調査委員会が村ごとに整理した被害者名簿などの資料も併せて、細菌戦被害をめぐる一連の出来事をできるだけ客観的に検証し、記憶と史料との整合性を配慮した。

2
 大量の生の証言をどのように捉えたら良いのか。そのより具体的な視点は、既成の学問からそのまま利用できるようなパラダイムは必ずしもあるわけではなかった。したがって、とりあえず聞き取り調査をしながら考え、考えながら整理することをした。その過程は、いろいろと模索する右往左往の道のりであった。
 二つの方面から常に緊張感を感じた。一つは、民衆の戦争記憶の膨大さと甚だしい重さからの緊張感。戦争被害には複雑な社会的文化的様相がともなっており、語る個人にはそれぞれ、被害の影響と断ち切れない、血と涙に満ちたライフヒストリーがある。当事者の話を聞く者は、彼らの話を忠実に伝えるべきで、それを自分の意思で勝手に取捨選択する権利はないのではないかと考えた。しかし一方、多岐にわたる話をそのまま呈示するだけでは、自動的に戦争被害やその影響に対する認識には至れない。それを認識するためには、やはりある程度の整理が必要で、学問的な視点からのパースペクティブが不可欠である。いかにそれぞれの話の意味を読み取り、それを全体構成の中に位置づけ、事実を踏まえながら自分の思考を展開するか、これがもう一つ緊張感を感じたところであった。
 このようなジレンマに陥りやすい状況の中、生の証言と向き合うという初志を貫きながらも、学問の力を借りて理性的に分析することを試みた。但し、その分析は、既成の学問の枠にとらわれずに、文化人類学の他に、歴史学や思想史、心理学などさまざまなディスプリンから思考の展開に資する智恵を吸収した。
 これから述べる本書を貫く視点は、このような両方からの作業を数年かけて行ってきたうち、地下から滲み出た泉がゆっくりと小川となるように、少しずつアイディアが頭に浮かび徐々により明確となったものである。この序章でさえも、実際、本文をほぼ書き終えた段階で書いたのである。
 したがって、読者が本文の内容を参照しながら以下の文を読まれるか、または本文を読み終えた後、もう一度この序章を読まれれば、本書の内容と視点は、より把握しやすくなると思われる。
 具体的には、次のような四つの視点が貫かれている。
 第一に、個々人の回想から地域における細菌戦被害の全貌へ近づくことである。
 それは、即ち、被害事実の時間的空間的把握のために、いつ、誰が、どのように被害を受けたか、といった被害を受けた個々人の体験を繋ぎ合わせ、織りなすことである。今まで抽象的な統計数字に捨象されがちだった、戦争被害現場における生々しい状況を掬い上げることにより、戦争の人間社会に与えた傷跡は可視的になり、より具体性をもつ戦争認識を築き上げることとなる。
 第二に、戦争被害という出来事をその本来の社会的文化的文脈において理解し、戦争と社会文化との相互作用を分析することである。
 個々人の被害回想には、社会的民俗的内容が豊かに含まれる。それを丁寧に取り上げながら地方誌や地方史なども参照すれば、被害発生時の社会生活の背景や風俗習慣などをかなりの程度で把握することが可能となる。
 社会的文化的文脈において戦争による破壊を理解することは、いろいろな意味をもつ。
 まず、一定の社会環境の下で発生した細菌戦被害は、社会生活の形態を介在して広がったので、被害状況を適切に把握するにあたって、その本来の社会生活の形態に対する理解が必要となる。また、細菌戦による疫病の伝播を防ぐ防疫活動が民衆の強い抵抗を受け、そのために被害がさらに拡大したという過去の事実があり、その裏には、在来の世界観や信仰体系と防疫政策との対立が見られる。戦争が触媒となって引き起こした破壊の連鎖という仕組みに対する理解には、本来の世界観や信仰体系に対する把握が必要となる。そして、ペストによる被害は尊い命を奪ったのみではなく、人間関係の連帯や地域社会にも大きなダメージを与えたので、その影響は時間的にはかなり長く持続した。
 このように、戦争被害を本来の社会的文化的文脈において理解することは、直接的で一時的な被害ばかりではなく、長期間に及ぶ間接的な戦争被害も視野に入れることとなる。
 第三に、社会的文化的背景に目を向けながらも、個々の人と向き合うことである。
 細菌戦被害を受けることにより、たくさんの人の運命が変えられ、心に深い傷跡を残した。それを一つ一つ記録し描き出すことは、人間の心理や人生の足跡に沈殿する戦争の爪痕を直視することである。また、それと同時に、それを経験しなかった人びとのためにも、それに対する想像的理解を展開する「集合的空間」を創り出すことである。「その空間に宿るものが、経験しなかった者たちの記憶である」。
 個人の集合としての「数を重視する」歴史学と異なり、ここでは、個人を「個」として尊重する。個人への関心は、単に個人の背後にある社会全体の仕組みを再構築するためにもつのではなく、それはまず、かけ替えのない尊い人間の命そのものを見つめることである。被害者一人ひとりの存在や人間としての尊厳が無残に踏みにじられた記憶は、経験しなかった人たちに共有されることによって、はじめて「歴史化」する。また、そうすることによって、歴史を多声的多元的にすることが可能となる。
 第四に、戦争記憶の特徴や保有のあり様を考察することである。
 細菌戦被害に関する記憶は、個々人の心に秘められた私的記憶以外に、広い意味の記憶には、散在する歴史史料や、発表されていない、または発表することの許されなかった手稿など、さまざまなものが含まれる。いずれにしても、長い間、それらの記憶は体系的に取り上げられなかった。E・H・カーの「現在と過去との対話」という意味の歴史において、これらの記憶は、つい最近まで、いや、今でもかなりの程度で、現在との対話に導入されていない。
 どうしてそうなったか。その理由は、中国の国家的イデオロギーとの関係や、革命以後の政治的状況、歴史学の現状などさまざま考えられるが、詳細な分析は本書の範囲を超えると思われるのでひかえ目にしたい。但し、本書では少なくとも、導入されなかったことを事実として認め、導入することの意味を考えたい。
 国家賠償訴訟が始まった後、細菌戦被害者本人や遺族たちの個人的な記憶が公の場で打ち明けられた。これらの記憶には、当時の光景が鮮明に脳裏に焼き付いたフラッシュバルブ的なものもあれば、以後の困窮した日常生活と一体化した「生活体験型」のものもある。また、自らの経験をその後何十年の間に繰り返し思い出すうちに自然に詩と吟じられたもの、民謡や絵に表現されたものなど、さまざまなかたちに表された。確かにどのかたちの記憶にも、忘却があり、誤差があると考えられる。それらについて、各種の証言の相互検討に力を入れた。
 また、当事者の深層心理に何らかの烙印を押した外傷性記憶についても検討した。その結果、戦争被害による外傷性記憶は、当事者の性格や人生観にも影響を与え、自殺者までも現れたことが分かった。

3
 本書の構成は、次のとおりである。
 第1章「民衆の戦争記憶を『歴史』にする」は、第2章以降の各章の内容についての総合的な考察である。長い間、「記憶の場」を失った民衆の細菌戦被害記憶が、どうして記憶の場がなかったか、その記憶がどのように探し集められてきたかなどを分析し、被害記憶の特徴や性格などについても考える。
 第2章「常徳という地域」では、細菌戦被害地の常徳の歴史や地理を紹介したうえ、細菌戦被害の広がりの媒介となった社会生活の形態を、町と農村の社会的経済的構造や、行政組織、民衆の親族組織の父系血縁集団宗族などの面から紹介する。
 第3章「記憶にある細菌戦被害」では、人びとの回想や語りを引用しながら、彼らの目線に立って、常徳城内や周辺農村における惨憺(さんたん)たる被害の様相を再構成し、普段の社会生活の場を乗っ取って猛威を振るったペストの伝播ルートを分析する。
 第4章「命を全うしようとする文化の悲哀」では、巫俗などの土俗信仰や、他界と再生、土葬、身体観などを含んだ民衆の世界観が、近代西洋医学に根ざした防疫活動と真正面から衝突する様子を再構成し、ペストという触媒が社会にもたらした連鎖的な破壊の仕組みを分析する。
 第5章「ペスト発生後の民国政府の対応と民衆社会」では、日本や中国の歴史学者の研究を参照しながら、主として政府の公文書などの史料や、各行政レベルの役人及びペストに感染した当事者たちの回想に基づいて、民国政府と地方行政の防疫態勢と活動を考察し、ペスト発生現場の状況と防疫工作の効果を分析する。
 第6章「細菌戦被害のその後」では、細菌戦被害が地域社会や被害者たちのその後の人生や生活に与えた影響を考察し、「人生の三大不幸」を経験したさまざまな被害者たちの証言を紹介する。
 第7章「被害記憶の保存」では、細菌戦被害記憶と日本軍による他の被害に関する記憶との関連性を考察し、民謡や絵画などのかたちに表現された戦争記憶を分析する。
 終章「民衆の戦争被害記憶の力」では、過去の戦争に対する反省をめぐって日本社会における問題の所在を検討しながら、常徳民衆の戦争被害記憶のいまの世界と現代に生きる私たちにとっての意味を考える。
 本書における王朝の編年や旧暦を表す年代表示にはそれぞれの呼称を付し、西暦と区別した。

 以上のような内容をもつ本書は、一つの架け橋になってほしいと、心より願っている。
 それは、細菌戦という戦争被害を自ら体験した者とそれを「経験しなかった人びと」との間、個人の記憶とそれに対する「創造的理解を展開する集合的空間」との間、過去と現在との間に、かける架け橋である。

目次

序章 民衆の戦争記憶と向き合う
第1章 民衆の戦争記憶を「歴史」にする
第2章 常徳という地域
第3章 記憶にある細菌戦被害
第4章 命を全うしようとする文化の悲哀
第5章 ペスト発生後の民国政府の対応と民衆社会
第6章 細菌戦被害のその後
第7章 被害記憶の保存
終章 民衆の戦争被害記憶の力
資料

著者等紹介

聶莉莉[ジョウリリ]
中国人民大学哲学系で哲学、北京大学社会学系修士課程で社会学を学んだ。1986年に来日、東京大学大学院総合文化研究科で文化人類学を専攻し、1990年に博士課程を修了、学術博士号を取得。現職は東京女子大学現代文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。