歴史文化ライブラリー
平安時代の死刑―なぜ避けられたのか

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  • サイズ B6判/ページ数 197p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784642057974
  • NDC分類 322.13
  • Cコード C0320

内容説明

平安時代、薬子の変を最後に天皇の裁可による死刑は行われなかった。だが、平将門のさらし首などの記録から、タテマエとしての死刑忌避と実態としての死刑があった真実を究明。今日の死刑制度議論に一石を投じる書。

目次

平安時代に死刑はなかったのか―プロローグ(嵯峨期の死刑停止;平安時代のイメージ ほか)
律令制下の死刑(律令制の刑罰;律令制下の死刑;令制下の裁判)
嵯峨朝の死刑停止(弘仁の死刑「廃止」;死刑停止の歴史と恩赦;嵯峨天皇の評価)
刑罰の寛刑化と死刑の実態(平安朝社会の変化;平安中期の死刑の実態)
梟首と保元の死刑「復活」(死刑としての梟首;梟首の実際とタブー;保元の乱と死刑)
中世国家の成立と死刑の行方―エピローグ(検非違使の穢;武士の穢 ほか)

著者等紹介

戸川点[トガワトモル]
1958年、東京に生まれる。1985年、上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程中退。現在、都立高校教員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

27
薬子の変を最後に(保元の乱で復活40頁)。嵯峨天皇が死刑廃止(1頁)。28頁の絞刑のイラストは残酷に映る。 長屋王が自刃に追い込まれるまで5年間死刑停止。世界初の死刑停止と評価。だが詔の翌年死刑存続の記録も 残っているという(71頁)。死刑制度への賛否は時代を問わないようだ。検非違使の肉刑は、手足を切って死に至る もので実質死刑と同様(119頁)。梟(きょう)首:さらし頸(134頁)。サカキバラを思い出した。恐ろしい。 2015/03/19

20
薬子の変を最後に停止されていたはずの平安時代の死刑。だがそれは建前であり、貴族階級を別として死刑自体は続いていたという本。「殴り合う貴族たち」に続いて読んだせいで、そりゃあんな人間どもがいたら死刑停止なんか無理だろうなあと。穢れについてもそうだけれど、例え実態が違っていたとしても、可視化さえしなければ、なかったことになるのだという上辺だけを取り繕うやり方は今も昔も変わらないよなあ。2016/03/21

chisarunn

9
平安時代に死刑はなかった?大雑把な歴史の認識では、薬子の変から保元の乱までは制度はあったが天皇が指示して刑が執行されたことはないということになっている。が、歴史にはウラがあるもんで、実際は現場で検非遺使が処理してタテマエとホンネを使い分けていたようだ。なぜそんなことに?それは我が国民性、と言ってしまえば身もフタもないが、宗教的な理由と政治的な配慮が重なって、ということらしい。さて現代においてはそういうわけにはいかないのだが、各々方、あなたは死刑制度、是ですか非ですか?2023/05/26

遊未

7
平安時代の死刑・・・そういえば公式には無いよね。ということを嵯峨朝を中心に述べられている。が、私も「殴り合う貴族たち」を先に読んでいて、上層部の精神的風土だけの問題かと思っていました。この本では法制史、刑部省から検非違使に至る変化が整理されています。はっきり規定した法がある訳ではなく、洋の東西を問わず、私刑はあったということでしょう。現在の死刑廃止を考えることに繋がるかというと・・・人が人であることはおなじでも心象風景は別なのでどうでしょうか。    2016/11/14

星乃

4
嵯峨天皇から保元の乱まで死刑はなかったと言われているが、そんなことないよねって話し。天皇は穢れを恐れ、自身が寛大であることを示すために死罪を裁決しなかっただけで、血なまぐさいことは検非違使や武士に押し付けていた。また、家政機関で法を通さず上司が部下を裁く私刑もあった。民衆は河原や市で、さらし首を見物し楽しむ一方、いざ後白河が薬子の変以来の死刑判決を下すと穢れを恐れ拒絶反応。犯罪は抑止して欲しい、でも天皇が死刑判決を下すのは気持ち悪い。面倒だから鎌倉武士に押し付けてしまえ。日本人は昔からダブルスタンダード。2023/06/16

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