内容説明
北条氏一門最後の得宗北条高時。『太平記』が伝える彼の人物像は果たして本当なのであろうか。また、北条高時政権とは本当に無能で無策な乱政であったのであろうか。明治時代以来長く語り継がれてきた『太平記』依存の北条高時像に対し、執権北条高時とともに鎌倉幕府を主導した連署金沢貞顕の書状を数多く含む『金沢文庫古文書』をはじめとした鎌倉幕府側の資料と突きあわせることで、北条高時の人物像と北条高時の時代を再検証する。
目次
北条高時の二つの顔
二つの高時像(滅ぼした側の高時像;北条氏からみた高時像 ほか)
2 北条高時政権(高時執権就任まで;文保の和談 ほか)
3 北条高時政権のかかえた課題(北条高時政権瓦解の要因;気候変動―中世温暖期から小氷期へ ほか)
4 金沢貞顕と金沢文庫(金沢文庫と称名寺;実時の収書と貞顕の収書 ほか)
5 鎌倉幕府崩壊(分裂の始まり;嘉暦の騒動 ほか)
著者等紹介
永井晋[ナガイススム]
1959年生まれ。國學院大學大学院博士課程後期中退(文学修士)。國學院大學博士(歴史学)。専攻、日本中世史。現在、神奈川県立金沢文庫主任学芸員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
さよならキダ・タロー・寺
66
北条高時といえば、闘犬にうつつを抜かした暗君だとか、NHK大河『太平記』での片岡鶴太郎の怪演などが想起されて、低い評価を受けている人物だ。わずかに山田風太郎が『人間臨終図鑑』で疑義を呈しているぐらいか。しかし歴史上の人物の大半は、研究者が言うように、世評程には悪くなく、世評程には良くもない。今生きている人間と同じである。毎日会うあの人や、隣にいるこの人と一緒である。学者さんが書いたこういう評伝類を読むと、いつもそれを思う。2021/08/05
紫
9
鎌倉幕府側の資料(『金沢文庫古文書』など)から読み解く、鎌倉末期幕政の考証本。鎌倉幕府が滅亡したのは悪政のためではなく、冷害による御家人の困窮に元弘の乱による戦費調達が追い打ちをかけて、幕府が恨みを買ったため。「鎌倉幕府が分倍河原合戦の敗北まで事態を軽くみていたことは、鎌倉の街で仕事をする首脳部が御家人の疲弊を頭では理解していても、実感としてもっていなかったことの証といえる」とあるように平和ボケが幕府を滅ぼしたといえるでしょうか。暴君・暗君のイメージがいまも根強い、北条高時の復権の一冊であります。星5つ。2021/01/23
餅屋
8
かつての大河ドラマ、高時=片岡鶴太郎、貞顕=児玉清というインパクトの強いキャストによる〈空虚感〉が頭から離れない。幕府は官位制に代わる身分制の秩序を作れず、署判をすえる執権・連署は従四位下以上の位階か昇進する要件を満たす必要があり、得宗家に中継ぎ執権が必要な所以であった。貨幣経済の展開に伴う御家人制破綻期で、高時政権が現体制を守ろうとすればするほど御家人を苦しめる皮肉な立場となり、得宗被官になり財務負担を軽減するものも増え、得宗権力は増大したが、長崎高資ら内管領は正六位と権威では役不足だった(2009年)2022/02/24
さとまる
7
闘犬と田楽にかまけて政務を放棄した暗愚な印象が強い高時だが、この本を読むとそのような高時の姿を書き記した「太平記」は北条側を貶める意図で書かれており真に受けることは出来ない。実際の高時は暗愚と言うよりも病弱という表現のほうが相応しい。ただ、彼を支えた長崎円喜・安達時顕・金沢貞顕の3人が社会の変動に合わせた政権運営ができず、どこまでも現状維持することに汲々としてしまったことが、高時政権の崩壊を招いたといえよう。もし高時政権が鎌倉中期だったら平和な良い時代を築いたと評価されたというところには驚いた。2020/08/30
中野あずにゃん
4
『太平記』や『増鏡』といった勝者の側から書かれた歴史書だけではなく、『金沢文庫古文書』といった幕府側の資料と突き合わせることによって鎌倉幕府の滅亡を再構成して説いてくれています。 幕府の滅亡は、地球規模の寒気ににより、主に東国の生産力が低下したことにより御家人たちの不満・不安が増大したこと、貨幣経済が進展する社会情勢の中で(トップである北条高時が病弱なこともあり)先例を重んじる保守的な政治を行わざるを得なかった幕府が旧体制側を支持したことなどが原因であるという見方は非常に興味深く読むことができた。2012/06/18