内容説明
騎馬遊牧民というと、文明の破壊者、野蛮な殺戮者というイメージをもっている人が多いようだ。しかしヘロドトスや司馬遷は、彼らを正当に評価していた。ユーラシアの草原地帯で、彼らは簡素だが合理的な社会生活をいとなみ、先進文明地帯であるメソポタミアや中国とも互角にわたり合える軍事力を具えていた。また彼らはシルクロードを支配して、東西文化の交流にも大きな役割を果たした。騎馬遊牧民がどのようにして生まれ、国家を築くようになっていったかを、文献史料と最新の考古学資料から探ってゆくことにしよう。
目次
ユーラシア草原地帯とは
1 騎馬遊牧民の誕生
2 スキタイの起源
3 草原に花開いたスキタイ美術
4 遊牧国家、匈奴の勃興
5 匈奴の隆盛から衰退へ
著者等紹介
林俊雄[ハヤシトシオ]
1949年生まれ。東京教育大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。専攻、中央ユーラシアの歴史と考古学。現在、創価大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
316
東西交易の大動脈ともいうべきシルクロードだが、よく知られたオアシス・ルートと海上ルートの他に、もう一つの草原ルートが提示されている。確かに、これだと大砂漠や険阻な峠も少ないだろう。また、遊牧の起源や、草原地帯に紀元前に存在した大型古墳など目を開かれることの多い書物だった。ヘロドトスと司馬遷のスキタイ観にしてもそうだ。また、ギリシャや西方にではなく、むしろシベリアあたりの東方に起源を持つスキタイ美術にも目を奪われる。なんとも見事な意匠である。エルミタージュには、それらの出土品が山積みだとか。行ってみたい。2017/11/30
itokake
16
史記を読んでいると、匈奴(遊牧騎馬民族)が敵として登場。どんな人たちなんだろう。本書を読んでもその思いは一層深まってしまうばかりだった。文字が残っていないので、歴史の世界ではなく、考古学。出土品や古墳からの類推は、もどかしい。匈奴より以前にスキタイがいたが、彼らの黄金美術品がまぶしい。短剣に鹿の模様があるが、この鹿の目がまんまるではない。純粋にスキタイならまんまる目で、西アジアだと目頭目じりがでっぱる。おそらくスキタイの王侯が注文して他国の職人に作らせたもの。考古学のこうした小さなストーリーはうれしい。2023/10/09
うえ
11
スキタイならびに匈奴に関する非常にわかりやすい小著。紀元前十世紀から八世紀の頃のオーラン・オーシグ遺跡では埋葬された「王」に千七百頭以上の馬が捧げられていたという。相当な権力者だ。ただその王の「名前も実態も、今のところよくわからない。ややはっきりしてくるのは、草原地帯の西部にスキタイがあらわれてからであり、支配体制や社会制度がわかるのは、草原地帯東部に匈奴が勃興してから」だという。著者は漢が匈奴と「対等の外交関係」を結んでいたことから匈奴を国家と呼べる水準に達していたと述べるが説得力に富んでいる。2022/02/09
ピオリーヌ
10
同著者の『スキタイと匈奴 遊牧の文明 興亡の世界史02』を読んでいたこともあり、より平易に読み進められた。考古学資料が重要な位置を占める分野だけあり、豊富な写真・図版が活きる内容。特にスキタイ関係の考古学資料の所蔵が多い、エルミタージュ美術館に改めて行きたくなる。他気になる記述をいくつか箇条書きに。トゥバ共和国について。清帝国に属していたが、清朝滅亡、ロシア革命後のタイミングでソ連に組み込まれた。ロシア南下といえば、アイグン条約・北京条約のインパクトが強いが後の時代にも侵略が為されていた。2022/01/26
サアベドラ
8
ユーラシア草原地帯の東西に現れた古代騎馬遊牧国家、スキタイと匈奴の歴史と文化を概説。前者は考古学資料を、後者は漢文史料を主に用いている。騎馬遊牧民がなぜ国家と言える規模で政治性を持った集団を形成したのか、またその集団がなぜ農耕定住民に攻撃を加えたのか、という問題意識を持って読んだのだが、そういう話は残念ながら一切出て来なかった。こういうテーマを考えるには文化人類学の知見の援用が不可欠だろうけど、古代でそれをやるのはかなり難しそうではある。遊牧国家に関してはもうちょい文献を漁ってみる予定。2012/11/18