内容説明
中国四〇〇〇年。広がる大地を舞台に展開されたその歴史は、初めの段階ではどのような様相であったのだろうか。与えられた環境のなかで、人びとはなにを求め、どのように生きていったのだろうか。多種多様で個性的な文化が生み出されながら、のちにそれらがどのようにしてまとめあげられていったのだろうか。いまに残されたものを手がかりに、中国の人びとの不断のいとなみのなかから、中国の歴史が形成されてゆくそのさまをたどってみよう。
目次
中国古代史についての認識
1 中国古代文明の発生と展開
2 夏王朝は「認知」できるか
3 神と人の殷王朝
4 戦う西周王朝
著者等紹介
竹内康浩[タケウチヤスヒロ]
1961年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。専攻、中国古代史。現在、北海道教育大学釧路校教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ピオリーヌ
12
夏王朝の実在について。中国の学会では二里頭遺跡を夏の王都遺跡であるとみなし、夏王朝の実在は完全に確かなものとされているという。一方日本の学会では夏王朝の実在については、出土文字史料によって確認することができないという点から懐疑的であるという。日本の学会の方針の方が説得力がるように感じる。孔子が「文」や「礼」を称えた周王朝だが、その実態は異なる。むしろ周が得意であったのは「武」の面であり、周は戦いに明け暮れた王朝である。「泥沼のバトルフィールド」という見出しが印象的。2022/08/26
崩紫サロメ
8
夏・殷・周(西周)にあたる時代を扱う。最古の王朝とされる夏王朝については、日中で見解が分かれている。中国では20世紀末から二里岡遺跡を夏王朝と認定する国家プロジェクトが展開しているが、日本の多くの研究者はこれに対して懐疑的である。文字史料が出土していない状態で断定することは、後代の史書の記述を鵜呑みにして読み解くことにつながる。後代、孔子などから「礼」と「文」の王朝として美化された西周は初期と末期を除いて文献史料がなく、出土史料からはむしろ「武」の王朝であったと指摘している。2019/09/26
サアベドラ
5
三代(「夏」殷周)の実像を最新の考古学の成果を用いて再現する。新石器時代から「夏」あたりまでの重要な遺跡を紹介する最初の30ページぐらいは、考古学の文章を読むのが苦手なので正直しんどかった。つい最近見たNHKのドキュメンタリーでは二里頭遺跡を「夏」と同定していたが、2010年発行の本書ではまだ日本の学会としては判断保留としている。殷が神権政治の性格が強かったことは知っていたが、周が始終戦乱にまみれた血塗られた王朝というのは知らなかった。後に儒教によって理想化された姿とあまりにもかけ離れていて興味深い。2012/11/20
Oltmk
2
古代中国研究者の竹内康浩氏による古代中国史の書籍。竹内氏の手腕によって担当している先史~西周期までの簡潔にまとめており、かっての古代中国研究で主流だった夷夏東西説の否定、西周王朝の歴史的などをまとめており古代中国史を知りたい人間には必須の書籍だと思います。また、殷王朝の歴史的性格において現代人から迷信的に思えるが、当時の殷人においては当時における世界理解としては当然であり、人間を超えた意志を尊重することで逆に人間を政治的な手段として効果的なものであり、充分に練られたものであったとする意見は同意したい。2018/04/27
Teo
2
西周があんなに戦乱・・と言うのはおいておいて、発掘調査によって新しい知見が得られている筈の殷以前の事をおさらいしようと買ってみた。私はずっと以前から夏王朝ありと思っていたが日本の学会では殷以前の文明が夏なのかどうかを必ずしも確定出来ないと言う認識だったとは知らなかった。まだまだ考古学的な情報は出てきそうなので殷以前の歴史が詳しくなる事を期待したい。2010/04/06