出版社内容情報
「自立した個」を大前提とする近代国家の政治思想をフェミニズムによって根底的に覆し、共生を基礎とする新たな社会を構想
内容説明
他者との非暴力的な関係が政治のはじまりだ。ケアの倫理から政治的主体を根底的に覆し、傷つき依存する関係から社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
目次
第1部 リベラリズムと依存の抑圧(フェミニズム理論と政治思想;包摂と排除の論理;自由論と忘却の政治;リベラリズムとフェミニズム;忘却された主体の来歴)
第2部 ケアの倫理の社会的可能性(なぜ、家族なのか;ケアの倫理からの出発;私的領域の主権化/母の自然化;ケア・家族の脱私化と社会的可能性)
第3部 フェミニズムと脱主権国家論(主権国家・近代的主体・近代家族制度の三位一体をほどく;フェミニズムが構想する平和;安全保障体制を越えて;ケアから人権へ)
新しい共同性に向けて
著者等紹介
岡野八代[オカノヤヨ]
1967年生まれ。現在、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授。専攻は西洋政治思想史・現代政治理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヒナコ
6
依存関係の再考による、強烈な近代リベラリズム批判。 思想史上大きな位置を占めるミルやバーリンなどのリベラリズムが、本書では徹底的に批判されている。最も批判の焦点が当てられているのは、リベラリズムの前提をなす閉じた主体についてである。リベラリズムにおいて想定されている主体は、一切のケアもされず、最初から閉じて完結している。そうした主体は最初から孤独で、最初から自分自身の欲望を全て知っているようなモノとして想定されている。→2020/10/14
田蛙澄
2
理性的で普遍的な原理を求める公共領域からも、自律的で堅固な意志が必要な私的領域からも排除され、忘却されたものとしての家族関係や依存関係にもとづくケア倫理こそが、主権的な主体や国家の暴力や抑圧に苦しむ人々に寄り添い、自己の暴力性を自覚しつつニーズを把握し、傷付けられやすい存在との関係を繕う修復的正義だという点はリベラリズム批判として新鮮だった。 また9・11や慰安婦問題に言及しつつ、国民国家の人権が法の範囲内に制約される点を批判し、過去の沈黙を想像し、国境に依存しない非暴力的な政治構想をする点が素晴らしい。2022/08/25
@を
2
現代、正しいものとして当然のように受容される公私二元論、安全保障、自律的主体……といった伝統的な政治思想の中核を成す概念をフェミニズム、ケアの倫理の視点から切り崩してゆく。人間が他者に依存せざるを得ないという、しかもどういう仕方でそうなるのか予測不可能だという現実を見据える態度にはハッとする。私がフェミニズムに疎いせいか、ところどころ論理接合のわからない部分があるが、言いたいことははっきりとしていて、大胆でまさに「残酷な現実」に立ち向かう一つの姿勢だと感じた。新しい視座を得た。2014/12/14
Bevel
1
ケアに関して、反リベラリズムのためのフェミニズムとの宥和みたいな水準でまとめられてるので別の広げ方もあるよなとは思ったけれど、正義とケアのあいだに還元不可能な対立を置き、最も傷つきやすい存在の証言による国家の枠を超えた社会変革に向かう著者の立場は、まさに現代のフェミニズム実践の理論的基盤と言ってもよいのかなと。「寄る辺なく真っ暗な道」を歩くようともいうけれど、ヤング、ベンハビブ、バトラー、グディンなどの議論を踏まえたシャープな議論は、広くいろんな立場の人に参考になるだろうなと思った。2023/03/24
ゆるこ
1
「家族の私化は、家族が国家化されていることにほかならないことに気づくべきなのだ」ってしびれるわぁ。この本の「ケアの倫理」の可能性にはとても共感した。でも、この本のリベラリズム批判に納得しつつ、ではなぜ、そのような、現実から離れた「自律した個人」による「社会契約」なんていうものを想定する必要があったんだろう、と思う。女性差別された記憶はないが、「女は母になってやっと一人前である」と何度も言われ、それが「母親」から「母親になれなかった女に対する差別」だと感じてきた私にとって、やっぱり「社会契約論」は魅力的だ。2016/06/11