アラブ、祈りとしての文学

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  • サイズ B6判/ページ数 311p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622074236
  • NDC分類 929.763
  • Cコード C0010

出版社内容情報

第三世界フェミニズムの第一人者がアラブ文学の読解を糸口に、世界の悲惨さとそれに応える思想の力を問いかける。

内容説明

小説を読むことは他者の生を自らの経験として生きることだ。絶望的な情況におかれた人々の尊厳を想い、非在の贖いとしての共同性を希求する新たな批評の到来。

目次

小説、この無能なものたち
数に抗して
イメージ、それでもなお
ナクバの記憶
異郷と幻影
ポストコロニアル・モンスター
背教の書物
大地に秘められたもの
コンスタンティーヌ、あるいは恋する虜
アッラーとチョコレート
記憶のアラベスク
祖国と裏切り
ネイションの彼岸
非国民の共同体

著者等紹介

岡真理[オカマリ]
1960年生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。在モロッコ日本国大使館専門調査員、大阪女子大学人文社会学部講師等を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専攻は現代アラブ文学・第三世界フェミニズム思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

夜間飛行

73
過酷な現実の中で人々の生を支える詩が書かれたのに対し、今まさに苦難を生きるただ中から小説を創る事はずっと難しいという。小説は全体を再構築し《生の細部まで分け入って、その生の襞に折り込まれた思いに私達が触れる》ものだから。本書を読むと、フェミニスト作家達がサバルタンの視点を持ち得ず苦労している事がよく判る。一方、西洋的な知とは一線を画したムスリムの女性作家リファアトや、パレスチナ人が生きのびる現実を容赦なく描いたホーリー、一元的なナラティヴを拒否したシャンマースなど読んでみたいが、邦訳が僅かしかないようだ。2015/06/30

りつこ

38
しんどかった…。途中「もう無理!」と投げ出しかけ、気を取り直して読み直しの繰り返しでどうにか読み終えた。爆弾が飛んできて自分の家も故郷も祖国も奪われる中、文学はあまりに無力だ。でも物語という形で伝えること、共感を得ること、そして慰めを与えることができる。読むことで知ること、感じること、祈ることはできる。2018/05/01

スミス市松

30
「小説とは、なんて無力なのだろう」――多少なりとも小説を読み込んできた人ならば、おそらく誰もが一度ならずともこんなことを呟いたことがあるのではないだろうか。アラブ文学者である著者は、「パレスチナ」という小説が無能の物になり果ててしまうその最たる地域において、どんな小説が生まれ誰の声で何を語ってきたのかをひたすら精緻に「ある祈り」を込めて書き綴っていく。読んでいるあいだ、私はいままでずっと自分が悩み抱えてきた――そして言語化できなかった――ことをこの本が言い当ててくれているような気がしてならなかった。(続)2011/10/05

fishdeleuze

29
1948年、イスラエルによるパレスチナ人に対する民族浄化、いわゆる「ナクバ」以来60年余、パレスチナ人はいまだに異郷に暮らし、静かな生活を望むべくもない状態にある。今ここを表象するためのジャーナリズムではなく、すでに起こってしまったことを表象する文学が、こうした環境で暮らす人々にとってどういう意味を担えるのか、どのような可能性が秘められているのか。著者は、文学の祈りとしての側面に触れ、多層的重層的な語りが可能な文学だからこそ、ネーションを越えた、人々の想像力の共同体を築くことを夢見る。2016/12/14

三柴ゆよし

23
私たちは、なぜ小説を読むのか。そして、いま、まさにそこで死につつある子らに、小説はなにができるのか。飢えに、渇きに、そして暴力に対して、小説は絶望的に無力だ。小説には、ただ祈ることしかできない。しかし私たちは小説をとおして、どれだけ遠く離れていようと、たしかにそこにいる人たちの生に、自身の<いま・ここ>をリンクさせることができるのであり、彼らとともに、あるいは彼らのかわりに、笑い、泣くことができる。それこそが小説における祈りだ。読むこと、知ること、共感し、祈ること。それもまた一つのアンガージュマンである。2017/01/26

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