出版社内容情報
親米英主義を貫いた外交官の信念と悲哀を描く。
対米英協調主義と対中国内政不干渉を貫いた幣原喜重郎。大正デモクラシーの理想を信じた外交官の信念と悲哀とを緻密に描いた長編評伝。
『陸奥宗光とその時代』『小村寿太郎とその時代』に続く、岡崎久彦氏の連作評伝「外交官とその時代シリーズ」の第3弾である。
▼読者にとって幣原喜重郎は、日本国憲法改正草案要綱を発表するなど、戦後混乱期の幣原内閣首班としての印象のほうが強いかもしれない。しかし、その政治家としての活躍で特筆されるのは、外交官試験に合格した者として、初めて加藤内閣の外務大臣に就任し、英米協調・対中国内政不干渉を基調とした、いわゆる「幣原外交」を貫いた点にあるといってよいだろう。
▼ところが「幣原外交」は、その基調路線ゆえ、陸軍・財界・政友会などから「軟弱外交」との非難を浴びた。しかし、幣原同様、外交官を務めた著者は、そもそも非自主的、非協調的な外交など存在しないと、デモクラシーの理想を信じた幣原の信念に賛辞を贈る。
▼歴史の評価は数十年経てようやく冷静に評価できる。そんな真理について考えさせらる、著者渾身の長編評伝である。
●第1章 新世代の外交官
●第2章 アメリカの世紀の始まり
●第3章 混沌の中国大陸
●第4章 日英同盟の時代
●第5章 日英同盟の岐路
●第6章 ロシア革命とシベリア出兵
●第7章 パリ講和会議
●第8章 日英同盟の終焉
●第9章 平和と軍隊
●第10章 幣原外交の開花
●第11章 潮の変り目
●第12章 中国統一の気運に直面する田中外交
●第13章 幣原外交の最後の業績
●最終章 幣原外交の終焉
内容説明
幣原は、大正13年、外交官試験に合格した者として初めて加藤内閣の外相に就任する。その外交姿勢は、英米協調・対中国内政不干渉を基調とした。いわゆる「幣原外交」である。しかしそれは陸軍・財界・政友会等から「軟弱外交」と非難をあび、昭和2年、幣原は退場を余儀なくされる。そもそも非自主的、非協調的な外交など存在しない。デモクラシーの理想を信じた男の信念と悲哀を描く著者渾身の評伝。
目次
新世代の外交官―典型的な平和な時代の真面目な秀才
アメリカの世紀の始まり―新興日本と新興アメリカが太平洋で遭遇する
混沌の中国大陸―拙劣を極めた二十一箇条要求
日英同盟の時代―その時代、英国紳士は日本人の理想だった
日英同盟の岐路―日本は第一次大戦で同盟強化のチャンスを見逃した
ロシア革命とシベリア出兵―ロシア革命の余波は日本にも及んだ
パリ講和会議―同盟国英国の老練な外交が日本を救った
日英同盟の終焉―「旧外交」と「新外交」の岐路に立たされた幣原の選択
平和と軍隊―ワシントン軍縮を成功させた加藤友三郎の見識、幣原外交の冴え
幣原外交の開花―外相に就任した幣原は外交の新機軸を開いた
潮の変わり目―幣原の協調路線に国民世論は反発した
中国統一の気運に直面する田中外交―張作霖爆殺事件はその後の日本に決定的な悪影響を及ぼした
幣原外交の最後の業績―時流が変わっていく中、幣原は少しも変わらなかった
幣原外交の終焉―幣原の辞任で日本は対米外交の貴重な資産を失った
著者等紹介
岡崎久彦[オカザキヒサヒコ]
1930年大連生まれ。東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し外務省に入省。1955年ケンブリッジ大学経済学部学士及び修士。在米日本大使館、在大韓民国大使館などを経て、1984年初代情報調査局長に就任する。その後も駐サウジアラビア大使、駐イエメン大使を務め、1988年より駐タイ大使。1992年退官。現在は岡崎研究所所長。著書に『隣の国で考えたこと』(中央公論社、日本エッセイストクラブ賞)、『国家と情報』(文芸春秋、サントリー学芸賞)など多数
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