音楽祭の戦後史―結社とサロンをめぐる物語

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音楽祭の戦後史―結社とサロンをめぐる物語

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  • サイズ B6判/ページ数 247,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784560084595
  • NDC分類 762.1
  • Cコード C0030

出版社内容情報

戦後民主主義が輝いていた時代に結社やサロンから生まれた音楽祭。「万博」や大衆社会化の下で祝祭はいかなる変容を遂げたのか?

前衛と祭りの相克

 かつてバブル期に雨後の筍のように生まれた音楽祭――。「箱物行政」とセットで槍玉に挙げられるこの祭りは、単に「無駄遣い」として片付けていいものなのか? 本書は戦後という文脈に照らして再検討する試みである。
 戦後の音楽祭には〈サロン〉型と〈結社〉型の、二つの水脈がある。本書では、朝日新聞の村山未知を中心に始まったサロン型音楽祭である「大阪国際フェスティバル」と、吉田秀和や柴田南雄といった若き前衛によって同人的に始まった結社型の「現代音楽祭」を取り上げる。
 どちらも結社やサロンという、戦後民主主義の中核をなしたボランタリー・アソシエーションが主体となったものだが、戦後の大衆化していく状況下、当初の意図を超えて展開してゆくことになる。
 そこで浮き彫りになるのは、エリート(または前衛)が大衆とのせめぎ合いの中で、無意識に大衆と協調して幸福な時代を築いたかと思えば、時代がくだるにつれ、大衆と分極していく姿である。そういう意味で、音楽祭の戦後史は、社会運動の流れと軌を一にしており、それを辿ることは、戦後七十年を振り返るに等しい。著者渾身の書き下ろし!

序章 自分たちの祭り?

 「この祭りは自分のものではない」/音楽祭の啓示――祝祭鏡
 戦後日本の音楽祭/巡礼地大阪/現代における〈祭り〉の条件

第一章 流浪の民の音楽祭

 亡国の音楽師/守銭奴か善人か/アジアの祝祭を差配する
 流浪の民と祝祭/村山未知の旅/「国家的な政策に沿って」
 トータルな視線/「桜音楽祭」構想/戦後日本を象徴するホール

第二章 音楽祭と大衆文化の間

 一九五八年という時代/関西全域を巻き込む祝祭/古城の野外演劇
 大坂城物語――日本大衆文化の提示/「巡り歩く」祝祭
 「ダレのための」芸術祭か/大坂城物語のパラドクス

第三章 冷戦下の音楽祭――フェスティバルの東西対決

 「音楽祭ブーム」/文化自由会議の政治性
 露呈したオリエンタリズム/規範としての「西洋」
 安保闘争の残響/「東寄り」の大阪
 音楽祭の政治学/映し出された文化

第四章 神々の来阪

 大阪に向かう吉田秀和/聴衆の成長/「初めて海を渡る」
 ワーグナー兄弟の「複雑な音楽祭」/高まる祝祭ムード
 日本の祭りに/吉田秀和の評価/神々の置き土産/朝日のブルジョアぶり?

第五章 祝祭の黄昏――サロンと大衆の分極

 混迷深める万博協会/カラヤンの意向/万博へ吸収される
 「帝王」を拝む/村山サロンのコンサート
 「すばらしい“日本の聴衆”」/祝祭の時代の終わり

第六章 前衛と祭り

 「戦後」という状況/現代の二重性/軽井沢という場所
 四人の作曲家たち/吉田・岩淵・森/小さな事件
 類まれな祝祭ムード/聴衆との亀裂――エリート意識の露呈
 「日本の前衛について」/私的グループの公的音楽祭/祝祭感の喪失
 行政との共催/「もはや別物」/終焉の理由
 祝祭都市軽井沢/前衛と祭りの相克

第七章 結社と場所の社会学

 「新しい耳」の必要性/現代音楽祭との類似――結社からのスタート
 「よそ者」の音楽祭/「町おこし」による併呑/秋吉台から武生へ
 打ち上げ花火として/市民の音楽祭へ/細川俊夫の起用
 開かれた音楽祭とその敵?/「失われた記憶」――オーナー感覚の深層

第八章 祭りの後の祭り

 「多くの人と共に」の意味/接触地点であること
 祝祭はひとりでに/祭りの後/翳り/「村山騒動」以後
 聴衆の素顔/大阪を映す鏡

第九章 バブルと音楽祭

 聖性と日本文化/文化はおにぎり以下?/全国調査
 音楽祭の実際/豊かさの確認装置

終章 グローバルな箱

 自己理解と消費の間/祝祭という箱物
 グローバル化と文化/祝祭は不滅である

あとがき/註/索引

【著者紹介】
兵庫県加古川市生まれ。1991年、神戸女学院大学音楽学部を卒業し、1992年から1994年にかけて、ウィーン市立音楽院に留学。その後、大阪教育大学大学院教育学研究科芸術文化専攻で修士号(芸術学)、大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻で博士号(文学)を取得する。現在、奈良学園大学准教授。主な著書に『メソディストの音楽』(ヨベル社)他。

内容説明

戦後が生み出した“祭り”とその後。戦後民主主義が輝いていた時代に結社やサロンから生まれた音楽祭。大阪万博からバブルに至る大衆社会化のうねりの中で祝祭はいかなる変容を遂げたのか?

目次

序章 自分たちの祭り?
第1章 流浪の民の音楽祭
第2章 音楽祭と大衆文化の間
第3章 冷戦下の音楽祭―フェスティバルの東西対決
第4章 神々の来阪
第5章 祝祭の黄昏―サロンと大衆の分極
第6章 前衛と祭り
第7章 結社と場所の社会学
第8章 祭りの後の祭り
第9章 バブルと音楽祭
終章 グローバルな箱

著者等紹介

山本美紀[ヤマモトミキ]
兵庫県加古川市生まれ。1991年、神戸女学院大学音楽学部を卒業し、1992年から1994年にかけて、ウィーン市立音楽院に留学。その後、大阪教育大学大学院教育学研究科芸術文化専攻で修士号(芸術学)、大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻で博士号(文学)を取得する。現在、奈良学園大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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qoop

4
戦後の国際音楽祭の在り方を通じて〈音楽祭は必要か? 必要であるのはなぜなのか? 音楽祭の恩恵とは何か?〉と問う著者。日本に於ける音楽祭の嚆矢二つを実例に、様々な対立軸の中で、どのように非日常の祝祭空間が在り続けて来たか/崩れたかを探る。大阪国際音楽祭(のちの大阪国際フェスティバル)の第一回に開催された野外劇「大阪城物語」。関西の歌舞伎役者、宝塚歌劇団、OSKなど三百名ほどが参加したという大舞台の演出は宝塚の白井鐡造。こうした企画に宝塚が参加していたとは知らなかった。(pp43~45)2016/03/29

trazom

2
関西の音楽ファンにとって非常に思い入れ深い大阪国際フェスティバルが1958年に各紙共催で創設された後、村山未知と朝日新聞によって運営が独占されてゆく様子がよくわかる。大阪国際フェスティバルがフェスティバルホールという箱物完成に合わせて企画されたように、東京文化会館の開場に合わせて東京世界音楽祭が開催された。でも、大阪国際フェスティバルが今も続いているのに、東京音楽祭は1回で終了。著者はその理由を分析しているが、私は、東京のマーケットが、フェスティバルというソフトを必要としないほど充実していたのだと理解する2016/06/20

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