高山宏セレクション〈異貌の人文学〉
文学とテクノロジー―疎外されたヴィジョン

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  • サイズ B6判/ページ数 366,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784560083017
  • NDC分類 904
  • Cコード C1010

出版社内容情報

非人間的な近代産業に反逆し、逃避したはずの十九世紀芸術家たちが、テクノロジーに毒されていたことを喝破した文化史の傑作。

【著者紹介】
1905~1987年。アメリカの文化史家。著書に『ルネサンス様式の4段階』『ロココからキュビスムへ』『現代文学と美術における自我の喪失』など。

内容説明

産業社会に反逆した芸術家たちもまた、テクノロジー思考に支配されていた。近代を蝕む「方法の制覇」「視覚の専制」をあばき、距離と疎外の問題を論じた文化史の名著。

目次

1 方法の征覇
2 ロマン主義者と唯美主義者
3 ミメシス―視覚的なるもの
4 疎外された世界
5 参加
6 接近

著者等紹介

サイファー,ワイリー[サイファー,ワイリー][Sypher,Wylie]
アメリカの英文学者・文化史家。1905年、ニューヨーク州マウント・キスコ生まれ。アマースト・カレッジ卒業後、ハーヴァード大学で博士号取得。元シモンズ・カレッジ教授。主に文学と美術に拠ってルネサンス期から二十世紀に至る西欧精神史、文化史研究を壮大なスケールで展開した

野島秀勝[ノジマヒデカツ]
1930年生まれ。東京外国語大学卒業、東京大学大学院英文科博士課程修了、お茶の水女子大学名誉教授。2009年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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roughfractus02

7
科学vs芸術なる偽の対立を作るのは技術であり、真の対立は科学と技術、芸術と技術にあると著者はいう。本書(原著1968刊)は後者に的を絞り、芸術をファインアートと技芸に分離して日常生活から疎外(Entfremdung)させる19世紀の資本主義経済の多領域への浸透を指摘し、それに逆行したラスキン、ドガ、フローベールらを辿りつつ短期的目標と経済的合理性(「吝嗇の法則」)がはびこる世界の異化(Verfremdung)を試みる。読後、ナノ化傾向にある技術が自己に密着しすぎて気づかない科学と技術の間が気になり始める。2020/02/17

EnJoeToh

4
ふむ。2012/07/06

ルートビッチ先輩

3
文学と科学は異なるものかという議論があったことを背景として、そもそもそういった議論は「二つの文化」に関わるのではなく「テクノロジー」という方法意識の問題として扱われるべきものなのだということを指摘する。それは十九世紀科学、芸術双方に共通してあった純粋な客観性への信仰のことである。これは芸術を外部との正確な対応を示すものとする見方を極端に強め(リアリズム、遠近法)、観者をその場から疎外されたものとしてしまう(フローベール、バルザック。それがミメーシスのことだとすれば、それに対して言われるのがメセクシスだ。2015/06/07

渡邊利道

2
十九世紀の文学・芸術を、産業革命以後の技術革新による世界全体の工業化がもたらした「効率」を重んじる吝嗇の傾向が見られると分析する観念史的著作。年代と論旨がわりと頻繁に前後に行き来するので少し読みにくいが、豊富な細部で経験主義からロマン派、方法の制覇からリアリズムと象徴主義、そして過剰なもの回復としてニーチェを援用する疎外論へという図式はまあ驚くほどに明快。2017/03/19

毒モナカジャンボ

1
再読したが今読むとものすごい反動みたいな本に見えるな(面白いけど)。ルネサンスの自然科学勃興から19世紀にかけて視覚の特権化→芸術観におけるミメーシス(模倣)の優勢とメセクシス(参加)の没落→「方法の制覇」の流れを覚えておきたい。「ロマン主義」という名前を当てること自体が、「ロマン主義」に割り当てられた人間たちの力を削ぐ合理的-理性的な企みなんだろうなという気はする。2023/03/03

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