出版社内容情報
御府と呼ばれた五つの施設は「皇居の靖国」といえる。しかし、戦後その存在は封印されてしまった。皇居に残された最後の禁忌を描き出す歴史ルポルタージュ。
内容説明
存在が隠されている一角が皇居にある。かつて「御府」と呼ばれた五つの施設。振天府(日清戦争)、懐遠府(北清事変=義和団事件)、建安府(日露戦争)、惇明府(第一次大戦、シベリア出兵)、顕忠府(済南・満州・上海事変、日中・太平洋戦争)には、戦利品や戦病死者の写真・名簿が収蔵され、天皇が英霊に祈りを捧げていると伝えられた。国威発揚、戦没者の慰霊・顕彰、国民と軍に対する教育施設、つまり「皇居の靖国」といえる。しかし、戦後その存在は封印されてしまった。皇居に残された最後の禁忌を描き出す歴史ルポルタージュ。
目次
序章 存在が隠されている皇居の一角
第1章 「朕が子孫、臣民に知らしむべし」―戦勝の記念と皇恩
第2章 輝ける明治の戦果―国民教育の施設へ
第3章 開放と崇敬の衰退―大正期の遠い戦争
第4章 靖国神社との直結―昭和の「十八年戦争」
第5章 封印された過去―歴史の宝庫として残った戦後
著者等紹介
井上亮[イノウエマコト]
1961年大阪生まれ。86年日本経済新聞社に入社。東京、大阪の社会部で警視庁、大阪府警、法務省などを担当。現在、編集委員(皇室、近現代史)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おさむ
37
毎日新聞の書評で歴史マニアの磯田センセイが絶賛していたこの本。皇居内にある5つの御府(ぎょふ)はその存在が戦後、封印されていました。その歴史を新聞記者である筆者が数多の資料から読み解きます。分捕品(ぶんどりひん)とも呼ばれる戦利品のほか、戦死者の写真や名簿が集められ、慰霊顕彰の役割も果たした「皇居の靖国」。ややマニアックではありますが、知らない事ばかりで驚きました。我々が学んだ歴史がいかに国の「暗部」を覆い隠しているのかということを実感します。ちなみに今も建物はありますが、中身は雑多な倉庫だそうです。2017/09/11
チェアー
20
とりつかれたように、皇居内の戦利品展示・戦死者慰霊施設「御府」について調べた本。とにかく資料がなく、宮内庁も非協力的ななかで、丹念に明治から昭和にかけての細かい記録を探し、ほんの一行から推測を重ねてい。そして、現在の「御府」の姿についての一つの仮説に行き着く。本としては読みにくいが、だれも触れなかった歴史に踏み込んでいった労作であることは間違いない。2017/10/04
CTC
11
17年8月のちくま新書新刊。著者は『“BC級裁判”を読む』で半藤・保阪・秦各氏といい仕事をしていた元日経記者。例の“富田メモ”報道は著者の仕事なんですな。 皇居には軍からの献上戦利品を収蔵する“御府”という収蔵庫があった。明治天皇はここに、「戦没将兵の遺影と名簿を置くこと」を発案し、この施設で「戦没者が深く悼まれている」と世に伝えられた。日中戦争以降は“英霊”の遺族による「御府参拝」が慣例に。しかし発案者であるはずの明治帝は1度きりの訪問…昭和天皇も5つある御府それぞれを1度しか訪れていない(記録上)…。2018/02/12
さとうしん
10
靖国神社と同様に戦没者の慰霊・顕彰を目的としながら忘れられた存在となった皇居内の「御府」の歴史を掘り起こす。靖国と同じく戦争への勝利を前提とした施設であったこと、基本的には限られた人間にしか拝観が許されなかったが、戦没者の増加でその遺族の拝観が許されるなど、戦況や世相に応じて御府の扱いが変わったことなどを面白く読んだ。また、日露戦争の戦利品であった「鴻臚井碑」に渤海王の冊封に関する記述があったことから、中韓の歴史論争の火種になった事情にも言及されている。2017/10/03
kiiseegen
7
振天府、懐遠府、建安府、惇明府、顕忠府。「御府」と言うものが皇居内にあるとは露知らず。近代史に関わる貴重な資料が残っている可能性があるのなら、何とか少しずつでも情報を公開出来ないものなのか...。2017/11/18