かくれ佛教

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  • サイズ B6判/ページ数 227p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784478014639
  • NDC分類 180.4
  • Cコード C0014

内容説明

鶴見俊輔、米寿にして宗教を語る。

目次

第1章 私は悪人である
第2章 知識人の悪癖
第3章 良寛、柳宗悦
第4章 末法の世に法然、親鸞、橋本峰雄
第5章 日蓮と創価学会他
第6章 寂滅為楽、河合隼雄、プラグマティズム
第7章 かくれ佛教徒

著者等紹介

鶴見俊輔[ツルミシュンスケ]
1922年6月25日東京・麻布生まれ。東京高等師範学校附属小学校卒。東京府立高等学校尋常科、東京府立第五中学校中退後、渡米。1942年、ハーヴァード大学哲学科卒業。戦時交換船で帰国後、海軍軍属としてジャワ島に赴任。戦後、京都大学人文科学研究所助教授、東京工業大学助教授、同志社大学文学部社会学科教授を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

厩戸皇子そっくりおじさん・寺

63
鶴見俊輔さんが亡くなる5年前の本。全編インタビューで作られた本で、他の人の本からの引用も多いのだが、それはそれで面白かったりする。というのも鶴見俊輔という人はこの本を作る際にかなりの高齢でありながら、若き日のみずみずしい感動や心の躍動を忘れずに語るのだ。引用される文章は鶴見さんが感動したものばかりだ。今や誰からも忘れ去られただろう著者の文章もある。そういった言葉への感謝が時々キラキラしている。欲だが、私も長寿になるならこんな老人になりたい。私たちが迷いの中にある事も肯定してくれる。進歩的文化人ってさすが。2019/06/27

ネギっ子gen

36
戦争に協力する僧侶や牧師の姿を眼にして以来、宗教に対して懐疑的だった市民派哲学者たる著者なのであったが、米寿を迎え、没後の門人として河合隼雄の考えに触れる中、自らを“かくれ佛教徒”であると自覚し告白した書。袖に、「この本は、私が書きたくて書いた、いわば終点にあたる」と。カバー絵は、秋野不矩『秋の祈り』。末尾に、<私は“かくれ佛教徒”といってもいいと思います。いまになって権門に屈するとか国家に屈するとかいう道ではなくて、むしろ国家が、そのかくれ佛教によって批判されるような道を目指しています>とあり、納得。⇒2022/01/02

kri

12
宗教による争いが吹き荒れている世界情勢の中、何の宗教も持たない人が多いのが日本ではないだろうか。では神を信じないかというとそうでもなく、迷うとき死に接したとき何か願うとき…神を頼り、神を想う。○○教ではなく、亡き父母やお日様や星空に祈るようなアミニズムに近い感覚で。この本では鶴見俊輔が生きた道、出会った人や本からの影響下、自分の中の信仰について述べている。国家宗教の悪しき側面や法然、親鸞らの説法への賛意等。かくれ佛教徒という感覚は私にもある。「自身を灯火とせよ」と仏陀。信仰は己との対話で組織運動ではないな2015/06/23

壱萬弐仟縁

11
哲学者ゆえに、脚注が充実。「一番というのは世間に対して自分が頭がいいということを証明しようとするわけだ。学問はそういうふうにして前に進むもんじゃないんだよ」(51頁)。おかしな、奇妙な疑問から検証すると、思わぬわけのわからない結論が出てくる。これが、どんな学問分野でも面白さ、醍醐味であるはずだ。「子供に厳しかった柳宗悦」の項目(65頁~)。著者の鶴見氏も伝記を初めて手掛けたのが柳氏だったようだ。してみれば、私は10年前、生徒には甘かったのだ。スパルタ教師もいたので逆にしてみたのだが。教育は匙加減が難しい。2013/08/01

かふ

8
仏教だけでなくキリスト教のニヒリズム「(虚)無の中に光を身籠る」というエックハルトの神秘思想。著者がハーヴァード神学校で学んだ元でイエスは仏陀だったというのが面白い。こういう話はディックのヒッピーだったイエスの話とも繋がっていく。鶴見が言うアナーキスト仏教。キリスト教が権力と結びついていく。一神教的なものの考え方がマルクス主義にもウーマンリブにもあって、一方をすべて否定していく。悪の関わり方、悪の捉え方。イエス「罪なき者だけが鞭打て」。親鸞の「悪人正機」。法然、親鸞、一遍の系譜。2015/11/04

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