出版社内容情報
「白村江の戦い」に敗れた日本は、唐の再攻撃に備えて防衛態勢を整備し律令国家建設へ邁進したと言われている。それは本当なのか?「日本書記」を再検証し通説に挑む力作。
内容説明
古代東アジアに起こった一大戦役・白村江の戦。通説では、唐・新羅連合軍に敗れた日本は以後、唐の律令に学び、国家体制を整備していったと言われる。だが、この通説は果たして本当か?敗戦国の日本が、唐の支配を全く受けずに友好関係を保つことが可能だったのか?本書は、中国・朝鮮側の史料、最新の考古学の知見、古今東西の「戦争」における常識など、多角的な視点から『日本書紀』を再解釈。白村江後に出現した唐の日本「支配」の実態、さらに、それがのちの律令国家建設に与えた影響を鮮やかに描く。
目次
第1章 白村江への道(風雲急を告げる東アジア;女帝の世紀 ほか)
第2章 白村江の敗戦処理(百済からの引上げ;冠位二十六階制 ほか)
第3章 朝鮮式山城の築造(大野城;朝鮮式山城の建設目的 ほか)
第4章 近江遷都(天智の帰還;近江遷都 ほか)
第5章 律令国家への道(新羅の反唐政策;近江令の制定 ほか)
著者等紹介
中村修也[ナカムラシュウヤ]
1959年、和歌山県生まれ。1989年、筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得修了。博士(文学)。現在、文教大学教育学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
松本直哉
23
王朝を正当化するための欺瞞と隠蔽にまみれた日本書紀とそれを鵜呑みにする歴史学を批判しつつ、白村江の戦いを日本の完敗と位置づける。唐による植民地化は、朝鮮半島の情勢の変化がなければさらに進んでいただろうという。とつぜんに何の地の利もない近江に遷都したのも、飛鳥の地を唐に明け渡すためだった。これほどの規模で外国に占領されたこの出来事をGHQによるそれと比較しているのが興味深い。白村江の敗北を認めようとしない歴史学は、敗戦にほかならないのにいまだに終戦という言葉しか使おうとしないいまの歴史学と地続きなのだ。2021/09/03
kk
18
Kindle本。終戦後の日本が連合国の占領下に置かれ、GHQの指導下で新体制が構築されたのと同様、白村江での惨敗後、天智朝日本は唐の指図に従って律令体制の構築を開始するに至ったというご説。ページを捲るごとにツッコミたくなりますが、独創的で、ある意味ロマンに満ちた発想。少なくとも読み物としては面白いと思いました。2022/11/08
月をみるもの
15
"日本が対外戦争を起こして,大敗北を喫したことが過去に2度ある。最近の経験としては第二次世界大戦における敗戦であり、遠い過去のものとしては白村江の戦いである。,,,,,,、七世紀の日本が、近隣の朝鮮三国と関わりながら、唐という大国と戦い敗北した白村江の戦は、二十世紀においてアジアを巻き込みながらアメリカという大国と戦い、敗北した第二次世界大戦と共通する点が見いだせるということである 。” → 続く 2019/04/29
クサバナリスト
10
白村江の戦いの戦後処理も考察としてとても面白い見解だと思う。唐からの戦後処理使節があったのではないか、大津京遷都は飛鳥京を引き渡すためではないか等。教科書的解説とは異なり興味を持てた。2016/01/16
清水勇
8
白村江の戦いは事柄としては知っていたが、日本の天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)の確執、朝鮮の百済・高句麗・新羅の覇権争いに唐の羈縻(周辺の異民族支配)政策を絡めて、7世紀後半の東アジアの大きな変化を、日本書紀、新羅本記、旧唐書の記載を満遍なく読み込みこれまでの歴史認識と大きく異なる解釈を示す。著者は、白村江で唐・新羅連合軍に敗れた日本は、唐に占領され羈縻政策を敷かれるが、新羅が朝鮮を統一することで唐に反旗を翻すことで、日本は唐の頸木から逃れ独立国としての体制をとったとする。面白いし納得。2016/02/08