内容説明
誰もが自由に生きているはずの時代にあって、私たちはなかなかその実感を持つことができない。自由など本当は存在しないのか?自由より優先されるべき価値があるのか?哲学と現代思想が考えてきた「自由とは何か」という問いには、ヘーゲルの思考を手がかりにすれば答えを出すことができる。新進気鋭の哲学者が、「欲望」に着目することで「自由」を人間にとって最も根本的な価値と捉えなおし、私たちが「生きたいように生きられる」ための条件を考える。
目次
「自由」に代わるもの?
第1部 「自由」の本質(「本質」とは何か;「自由」のイメージを解体する;「自由」とは何か;現代政治哲学の難点)
第2部 「自由」の条件(どうすれば「自由」を感じられるか;どうすれば「自由」な社会を作れるか)
著者等紹介
苫野一徳[トマノイットク]
1980年、兵庫県生れ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了、博士(教育学)。専門は哲学・教育学。現在、熊本大学講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
28
他者尊重は、私が自由になるための最も重要な条件である(26頁)。自由の本質を消極的自由(解放としての自由)とする限り、自由の侵害(強制)をめぐる、決して決着のつかない対立に陥ってしまう(65頁)。著者はヘーゲルを引いて、自由は意志の根本規定。自由を意志するところにあるとする(77頁)。人間的欲望の本質は自由(86頁~)。公教育は個人と社会のためのもの(199頁)。見田宗介氏の交響体:自由の相互承認の原理に適う限りで、正当性を持ち、各人の自由の社会的条件と呼べる(226頁)。2015/07/03
はとむぎ
18
苫野先生 素晴らしい思考力。自由とは、「我欲する」と「我なしうる」との一致の実感、あるいはその可能性の実感。自由とは、人間の根本欲求。そして自由は他者との相互承認によってのみ達成される。それを獲得するために、人類は他者と戦ってきた。でも相互承認である限り、戦いは不自由を生んでしまう。自由からポスト資本主義まで思考しているスゴ本でした!自分の思考にも是非取り入れて、コミュニケーションの質をあげていきたい。2022/04/05
りょうみや
14
苫野氏の本は何冊か読んで、今回も楽しんで読めたのだが、自由とその実現について、そしてその導出は前書の「どのような教育がよい教育か」に全て含まれており、復習にはなったが目新しさはない。著者のキーワードは「自由の相互承認」。2018/05/10
Mijas
9
人間は「不自由」な状態を「運命」だと見てしまうが、そうではなくて「思考」を通して「自由」を克服できるという。どうしたら自由に生きられるのかという問いは、私も常日頃持っているので、著者の解答に共感できた。自由といっても法の下での自由であり、自由の相互承認ができる社会・世界の構築を示唆していたと思う。自由のない社会、不自由を強いられている社会や国が現実に沢山あるわけだから、自由というものが如何に価値あるものかを再確認できた。2015/01/30
とみた
7
現代思想が考えてこなかった「自由」の本質とは何かを明らかにし、どうすれば「自由」に生きること、「自由」の実感することができるのかに答えようとする本。本質という言葉が多少曖昧ではないかという気がする一方、「自由」の実感という問題に焦点を当てることで、現実味を帯びた解決策を考えることができるようになっている点が面白かった。2015/02/22