新潮文庫<br> 身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編

電子版価格
¥649
  • 電書あり

新潮文庫
身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 文庫判/ページ数 213p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784101308425
  • NDC分類 385.6
  • Cコード C0195

出版社内容情報

心臓を別にわけるハプスブルク家の埋葬、骸骨で装飾された納骨堂、旧ゲットーのユダヤ人墓。解剖学者が明かすヨーロッパの死生観。ハプスブルク家の心臓ばかりが埋葬された礼拝堂をウィーンに訪ね、ボヘミアでは骸骨装飾で名高い納骨堂に足を運ぶ。プラハのユダヤ人墓地やカタコンベ、フランクル、マーラー、エゴン・シーレなど歴史的有名人の墓参りで浮かび上がってきた文化と埋葬、生者と死者との関係はなにか? 長年、人間の身体を切り分け、観察しつつ思考してきた解剖学者が明かす、ヨーロッパ独特の死生観。

養老 孟司[ヨウロウ タケシ]

内容説明

ハプスブルク家の心臓ばかりが埋葬された礼拝堂をウィーンに訪ね、ボヘミアでは骸骨装飾で名高い納骨堂に足を運ぶ。プラハのユダヤ人墓地やカタコンベ、フランクル、マーラー、エゴン・シーレなど歴史的著名人の墓参りで浮かび上がってきた文化と埋葬、生者と死者との関係とはなにか?長年、人間の体を観察しつつ思考してきた解剖学者が明かす、ヨーロッパ独特の身体性と死生観。

目次

第1章 ハプスブルク家の心臓埋葬―ヨーロッパの長い歴史は、無数の死者と共にある
第2章 心臓信仰―日本人には見えない、ヨーロッパの古層
第3章 ヨーロッパの骸骨―チェコ、4万体の人骨で装飾された納骨堂
第4章 内なるユダヤ人―埋葬儀礼はヒト特有のもの
第5章 ウィーンと治療ニヒリズム―脳化社会と身体の喪失、その問題の萌芽を探す
第6章 自己と社会と―身体と表裏一体に存在する、意識と脳についての考察
第7章 墓場めぐり―死を受け入れた身体の扱われ方に表象する死生観
第8章 お墓が中心―名もない死体が目の前に流れ着いたとき、あなたは

著者等紹介

養老孟司[ヨウロウタケシ]
1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。’89(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

扉のこちら側

72
2016年1131冊め。ドイツ・オーストリア・チェコの教会や墓地、納骨堂を巡って宗教観に基づく埋葬や葬礼について考察する。表紙はウィーン最古の精神病院Narrenturm。現在は国立病理解剖学博物館の一部で、一階が写真のようなムラージュや病理標本が展示されている。本書の冒頭で驚かされたのがハプスブルク家の心臓分納で、2000年代になっても心臓と遺体は別に棺に納められているとのこと。デカルトの心臓二元論との関わりだとか、埋葬や葬礼についての考え方が興味深かった。 2016/12/23

yumiko

64
心臓信仰や埋葬儀礼から欧州の死生観、社会における心身論を辿る旅…とはいえ、それはちょっと表向き。実際は養老先生の自由な発想の赴くまま、結論よりもそこに辿り着くまでのあれやこれやを共に楽しむ一冊と言えるかもしれない。ウイーン、プラハと巡る「陽気な墓参りツアー」はとても興味深く、ユダヤ論に関しては推薦の本を是非手に取ろうと思った。養老先生の思考の迷路を一緒に探求したことで、普段と違う頭の回路を使ったよう。続くラテン国家編も楽しみにしたい。2017/04/14

アキ・ラメーテ@家捨亭半為飯

52
ドイツ・オーストリア・チェコの教会、礼拝堂、墓を巡る旅。引用>> まず第一に、一人称の死体は存在しない。自分の死体というのは「ない」。自分の死体が生じたときには、それを見る自分がいない。/ 二人称はなかなか死体にならない。その人だとわかる部分が残存する限り、それはその人そのものなのである。自分の親の死体を指して「死体」と表現する人はいない。/ 死体が人称変化するということは、死体は「客観的事実」などではなく、人そのものだということである。2017/02/07

Mayuzumi

37
ハプスブルクの埋葬儀礼。亡骸から内臓を取り出し、心臓とそれ以外とに腑分けして三箇所に納める。殊に心臓は重視され、銀製の杯に入れられる。土葬とは、死後も己の身体と向き合うことである。皇帝廟、カタコンベ、ナレントゥルムの蠟模型。死にも階級やファッションがある、我々は燃やされ骨片にされて、まとめて壺に突っ込まれるところから、彼岸の新生活に画一化された印象を抱きがちである。欧州の三つの身体は、こういった死へのアンチテーゼになる。「畜生 歴史を黙らせろ 沈黙にはもう少し人間性と尊厳があるべきだ」(劉暁波)2017/11/28

canacona

22
養老先生のゆるゆるお墓巡りの旅。たまたま著名人のお墓を見ることはあっても、お墓をメインに巡ろうとはなかなか思わない。ハプスブルク家の心臓だけが埋葬された礼拝堂。その他2箇所に分けて埋葬されるらしい。遺体そのものを分割することに驚いた。骸骨を礼拝堂の装飾にしたりと、死者に対する感覚が随分違う。メメントモリを思い出していたら、解説でもこのことについて書かれていた。日本では死は穢れで日常から切り離されると養老先生は考えていたけど、仏壇を家に構えて節目節目に供養するのは、十分生活の一部に組み込まれてると思いました2023/11/28

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/11235878
  • ご注意事項