講談社選書メチエ<br> 創造と狂気の歴史―プラトンからドゥルーズまで

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講談社選書メチエ
創造と狂気の歴史―プラトンからドゥルーズまで

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  • サイズ 46判/ページ数 384p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065150115
  • NDC分類 130
  • Cコード C0310

出版社内容情報

アップル社の最高経営責任者だったスティーヴ・ジョブズが「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネルは、企業に創造性をもたらすには「クレイジー」な人物を雇うべきである、と説いている。ビジネスの世界でも「創造」と「狂気」には切っても切れないつながりがあることを、一流の企業人は理解していると言えるだろう。
だが、この「創造と狂気」という問題は、実に2500年にも及ぶ長い歴史をもっている。本書は、その広大にして無尽蔵な鉱脈を発掘していく旅である。
その旅は、「神的狂気」について論じたプラトン(前427-347年)から始まる。次いで、メランコリーと創造の結びつきを取り上げたアリストテレス(前384-322年)から《メレンコリアI》を描いた画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)、そこに見出される創造性を追求したマルシリオ・フィチーノ(1433-99年)を経て、われわれは近代の始まりを告げるルネ・デカルト(1596-1650年)の登場に立ち会う。
デカルトに見出される狂気と不可分のものとしての哲学を受けて、あとに続いたイマヌエル・カント(1724-1804年)は狂気を隔離し、G. W. F. ヘーゲル(1770-1831年)は狂気を乗り越えようとした。しかし、時代は進み、詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843年)が象徴するように、創造をもたらす狂気は「統合失調症」としての姿をあらわにする。そのヘルダーリンの詩に触発された哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976年)が提示した問題系は、ジャック・ラカン(1901-81年)やジャン・ラプランシュ(1924-2012年)を通して精神分析の中で引き受けられる。そして、ここから現れ出た問題は、アントナン・アルトー(1896-1948年)という特異な人物を生み出しつつ、ミシェル・フーコー(1926-84年)、ジャック・デリダ(1930-2004年)、そしてジル・ドゥルーズ(1925-95年)によって展開されていく──。
このような壮大な歴史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい。まさに待望の堂々たる1冊が、ここに完成した。

内容説明

スティーヴ・ジョブズが「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネルは、創造をもたらすには「クレイジー」な人物を雇うべきだと説いた。「創造」と「狂気」には深い結びつきがあることを先端で活躍する人たちは、誰もがよく理解している。そして「創造と狂気」という問題は、実に二五〇〇年に及ぶ歴史をもつ。本書は、プラトン、アリストテレスに始まり、デカルト、カント、ヘーゲルを経てラカン、デリダ、ドゥルーズに至る壮大な歴史を大胆に、明快に描く未曾有の書である。気鋭の著者がついに解き放つ渾身の書き下ろし!

目次

はじめに―創造と狂気は紙一重?
「創造と狂気」の関係を問う
プラトン―神的狂気と創造
アリストテレス―メランコリーと創造
フィチーノとデューラー―怠惰からメランコリーへ
デカルト―狂気に取り憑かれた哲学
カント―狂気を隔離する哲学
ヘーゲル―狂気を乗り越える哲学
ヘルダーリン―ついに統合失調症が現れる
ハイデガー―詩の否定神学
ラカン―「詩の否定神学」の構造論化
ラプランシュとフーコー―ヘルダーリンと父の問題
アルトーとデリダ―病跡学脱構築
ドゥルーズ―「詩の否定神学」からの逃走

著者等紹介

松本卓也[マツモトタクヤ]
1983年、高知県生まれ。高知大学医学部卒業。自治医科大学大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専門は、精神病理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

44
狂気と創造の関係を語るのための潜在能力を秘めているという病跡学の思想史とはどのようなものでしょうか。例えば、デカルトにおける理性は、狂気を徹底することによってはじめて可能になり、コギトは自らが狂気に憑かれているという疑いの中から理性を取り出してきます。共同体に馴染めず放浪した当のデカルトは、スキゾイドと診断できるという具合です。統合失調症で最大の傑出人として、世間の水平方向に向かわずに、理想の垂直方向に跳躍しようとしたヘルダーリンに注目します。ヘルダーリンの詩作を思索した「詩の否定神学」のハイデガー、精神2019/03/15

Bartleby

17
狂気が新たなものを生み出せるという考えはプラトンの時代からすでにある。もっとも、ダイモーン(神)の声を聞ける能力という意味でだが。驚いたのが、狂気の詩人ヘルダーリンの哲学史における存在感の大きさ。ヘーゲルの同窓である彼が、初めての統合失調症患者とみなされているのは、「世界精神」の不可能性と表裏一体になっていて興味深い。ハイデガーの否定神学モデルなどもろにヘルダーリンで、その後のデリダやドゥルーズの展開は、いわば不在の神の声を聞く=統合失調症至上主義に対する批判が原動力でもあったのだな。2023/04/25

koke

15
再読。統合失調症中心主義と悲劇主義的パラダイムがいかに生まれたか、ヘルダーリンをめぐる言説を広く検討することで明らかにしている。現代における創造と狂気を考える終章はもっとも頁数が多いが、それでも素描にとどまっており、できればもっと展開して一冊の本にしてほしかった。データベースとアルゴリズム、偶然性からの創造に賭けるという方針は、早くも古びつつあるのではないか。そこを聞きたい。2023/03/06

うつしみ

14
狂気と戯れるという意味で、病跡学はどんなホラーより恐ろしいと思う。それは近代の不安を炙り出し、日頃我々が目を背けているものを白日の下に晒す試みである。曰く、コギトとはデカルトが悪霊に貼った御札であると。悪霊は消えた訳ではない。見ない様にしただけだ。「正常」な人とは、そこを必要以上に詮索しない人である。御札で封じた筈の何かが舞い戻って私の中に侵入してくる時、現代では統合失調症とされる。統合失調症は近代の病なのだ。同症であったとされるヘルダーリンの詩を読み解くことで、哲学者達はそこに否定神学的構造を見出した。2024/05/13

耳クソ

13
狂気/正気。この境界線「/」は神の手のひらでできていたり悪魔の羽根だったり父親の不在だったり境界自体がうそだったりする。うそが破れて穴が開く。昔、壁の裂け目からこちら側に花を渡す兵士の写真を見たことがある。壁が「/」で花が「創造」だとしたら差し出す手は、神に伸ばした手、受取人はいない。いるはずがない……そんなとき、花(flower)はパンの粉(flour)になる。どこまでも現実を横滑りしていくことで壁を欺く。大きな塊のうそには、小さな粒のうその集まりになって対抗しながら、愛することに賭けるのだ。2021/02/28

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