講談社文芸文庫<br> 如何なる星の下に

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講談社文芸文庫
如何なる星の下に

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  • サイズ 文庫判/ページ数 281p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784062901369
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0193

出版社内容情報

作家・高見順自身が街に惹かれ、踊子に惹かれ、移り住んでしまった戦前の浅草。そこでの人間模様を切なく、生き生きと描いた秀作。高見順が捉えた昭和十年代の浅草

さらなる戦争へと突き進む時代、浅草に移り住み明と暗の物語を紡いだ高見順の孤高なる「慕情」を窺い知れる代表作

昭和十三年、自ら浅草に移り住み執筆をはじめた高見順。彼はぐうたらな空気と生存本能が交錯する刺激的な町をこよなく愛した。主人公である作家・倉橋の別れた妻への未練を通奏低音にして、少女に対する淡い「慕情」が謳い上げられるのだった。暗い時代へ突入する昭和初期、浅草に集う人々の一瞬の輝きを切り取り、伊藤整に「天才的」と賞賛された高見順の代表作にして傑作。

坪内祐三
浅草は大阪人である川端康成や武田麟太郎の旅情を刺激する。しかし東京人である高見順はそのような「旅心」をおぼえない。しかも、東京人でありながら、山の手っ子である高見順は浅草にそのまま同化することが出来ない。異人である。旅人でもない異人が浅草に部屋を持つ。その時その異人に見えてくる風景は? それが『如何なる星の下に』で描かれている(略)――<「解説」より>

※本書は、中央公論社『日本の文学57 高見順』(昭和40年5月刊)を底本としました。

第一回 心の楽屋
第二回 風流お好み焼
第三回 冬の噴水
第四回 落 魄
第五回 美 肌
第六回 帽子の下に頭がある
第七回 日記と注からなる一回
第八回 旅へのいざない
第九回 この青ざめし景色は
第十回 酉の日の前後
第十一回 再び現実の攻撃について
第十二回 ふいなあれ


高見 順[タカミ ジュン]
著・文・その他

内容説明

昭和十三年、自ら浅草に移り住み執筆をはじめた高見順。彼はぐうたらな空気と生存本能が交錯する刺激的な町をこよなく愛した。主人公である作家・倉橋の別れた妻への未練を通奏低音にして、少女に対する淡い「慕情」が謳い上げられるのだった。暗い時代へ突入する昭和初期、浅草に集う人々の一瞬の輝きを切り取り、伊藤整に「天才的」と賞賛された高見順の代表作にして傑作。

著者等紹介

高見順[タカミジュン]
1907・1・30~1965・8・17。小説家。福井県生まれ。1908年母とともに上京。24年第一高等学校に入学し、25年同人雑誌「廻転時代」を創刊する。27年東京帝国大学に入学し、28年左翼芸術同盟に参加。32年治安維持法違反により検挙される。35年から文筆業に専念(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

佐々陽太朗(K.Tsubota)

82
がっかりである。舞台は昭和10年代の浅草。浅草に仕事部屋を間借りした中年作家・倉橋が別れた妻への未練を持ちつつ、踊り子の少女に恋慕の情を抱く。浅草の芸人や物書きたち、その他住民との交流、浅草の持つ混沌の不思議な魅力とそこに住住む宿命への諦念を前衛的・実験的な手法で描いたということなのだろう。  私小説だかプロレタリア文学だか知らないが、ぐだぐだと無秩序に書き殴った文章は読みづらく美しさのかけらもない。安っぽいヒューマニズムなどまっぴらごめんだし、自己憐憫のニオイがプンプンというのはいただけない。2019/06/18

ブラックジャケット

18
連載は1939年から40年にかけて。戦前の浅草を舞台に、小説家倉橋が体験する様々な出来事を中心に語られる。少女といっていいい新人の踊り子雅子に一方的に惚れる軟弱ぶりが実にいい。戦争の暗い影はまだ色濃くはないが、浅草に集まる人々はどこか弱々しい。売れない芸人、文士崩れ、 好みや焼き屋の美佐子など、筆の遅い倉橋とどことなく波長が合う。別れた美人の妻は、愛人の男と倉橋を捨て上海で生活する。倉橋にはその強さがない。当時は大繁華街のはずだが、なんとなく吹きだまり感が漂う。大戦争を前にしてこの脱力系、それが凄い。 2020/11/03

ハチアカデミー

12
かつて「高見順の時代があった」という言葉に強く説得力を持たせる傑作である。戦争の足音が強くなってきた時代に、仕事部屋として浅草に間借りした作家の淡い恋の物語。だがしかし、その恋愛対象がまだ幼い娘であったため、己のロリコン気質に戸惑い、また別れた妻の周辺人物のやっかみにも惑わされ、胸のざわつく日々が描かれる。荷風は『墨東綺譚』を思わせる、作者を思わせる小説家が主人公の「小説の小説」なのだが、作家・書き手・主人公の三者の分裂っぷりが良い。特に「第七回 日記と注からなる一回」のメタフィクション性は先験的である。2013/12/03

V.I.N.O

9
所詮は失われたものへの郷愁という人間特有の感情に支えられなければ不出来な作品にすぎないのだが、そう不出来であることのなんと難しいこと。2017/04/16

あかつや

7
語り手の作家・倉橋は浅草に仕事場を構える。盛り場の喧騒の中にいることで自分の神経に刺激を与えて仕事も捗るなどという無茶な理屈。当然捗ったりするわけもなく、実際は17歳の踊り子・小柳雅子のことに想いを馳せていたりする。まあまあ気持ちの悪いおじさんである。そんな彼が見た戦前の浅草の風俗が面白かった。売れない芸人や三文文士、そんな人々が集まる様々な飲食店、飲み屋とか喫茶店とか。当時の芝居小屋や映画館の雰囲気もしっかり描かれていて、頭の中にその情景が浮かんでくる。全部おじゃんになっちゃう最後のオチも好きだなあ。2021/02/17

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