出版社内容情報
日本映画史に金字塔を打ち立てた小津の現存する全作品を一貫した視線の下に読み解く喜び。小津映画だけがなしえた驚異の地平!「小津安二郎の映画ほど、それについて考えることを誘いかけるものは珍しい」──本書は、冒頭にそう記す著者が小津映画に捧げてきた思いのすべてを解き放った待望の集大成である。
小津安二郎(1903-63年)は、昭和2年のデビューから死の前年に至るまで、日本映画史に燦然と輝く作品を生み出し続けた。散逸したものを除いた現存作品は全37作に及ぶ。本書は、現存する最初の作品『学生ロマンス 若き日』(昭和4年)から遺作『秋刀魚の味』(昭和37年)に至る全作品を一貫したまなざしの下に読み解く。
そのまなざしとは、小津作品だけが達成しえた、映画の本性への愚直なまでの忠実さを個々の作品に見るものにほかならない。キャメラという人間の身体とは根底から異なる「知覚機械」だけが捉えられるのは、私たちが身を置いている現実生活の行動から隔絶した〈永遠の現在〉である。小津映画に特徴的な「ロー・ポジション」での撮影も、その事実に深く関わっている。
『学生ロマンス 若き日』においてすでに確認できる〈神の眼〉で見られた物が帯びる〈永遠の現在〉は、若き日の小津が感化されたアメリカ映画の影響を感じさせる『朗かに歩め』(昭和5年)、『その夜の妻』(同年)、『非常線の女』(昭和8年)といったギャング映画にも、『出来ごころ』(昭和8年)、『浮草物語』(昭和9年)、『東京の宿』(昭和10年)といった「喜八もの」にも顕著に認められる。それは『鏡獅子』(昭和11年)で訪れるサイレントからトーキーへの転換を越え、さらには戦後『彼岸花』(昭和33年)で訪れる白黒からカラーへの転換をも越えて、小津作品を貫いていく。
小津映画について論じた書物はあまたあれど、こうした事実が指摘されたことも、これほどまでに一貫したまなざしの下に全作品が提示されたこともなかったことは間違いない。本書は、映画を愛するすべての人に贈る渾身の1冊である。
まえがき
第I部 喜劇の静けさ
第1章 映画が滑稽であること
第2章 微笑の道徳
第3章 無力であること
第4章 流れ歩く人たち
第II部 低く、水平に視ること
第5章 なぜロー・ポジションなのか
第6章 サイレントからトーキーへ
第7章 映画と声
第8章 〈在るもの〉としての深さ
第III部 不易を観る方法
第9章 世相と不易
第10章 映画と変わらないもの
第11章 豆腐とガンモドキの間
第12章 東京に生きる
第IV部 色彩映画、至純の華やぎ
第13章 色彩喜劇の創造
第14章 豊潤の極みへ
第15章 死を養う色
終 章 小津安二郎は、何を撮り、何を語ったのか
文献一覧
あとがき
小津安二郎全作品一覧
前田 英樹[マエダ ヒデキ]
著・文・その他
内容説明
日本映画史に燦然と輝く名匠・小津安二郎(一九〇三‐六三年)。現存する最古の作品『学生ロマンス若き日』(昭和四年)から遺作となった『秋刀魚の味』(昭和三十七年)まで、今日観ることのできる全三十七作品を貫くものは何か。キャメラという知覚機械の本性を深く理解した小津は、サイレントからトーキーへの移行を越え、白黒からカラーへの転換をも越えて、私たちが生きる現実生活の根底に潜む“永遠の現在”を捉える。小津を愛する著者が共感に満ちた筆致で完成した集大成。
目次
第1部 喜劇の静けさ(映画が滑稽であること;微笑の道徳;無力であること;流れ歩く人たち)
第2部 低く、水平に視ること(なぜロー・ポジションなのか;サイレントからトーキーへ;映画と声;“在るもの”としての深さ)
第3部 不易を観る方法(世相と不易;映画と変わらないもの;豆腐とガンモドキの間;東京に生きる)
第4部 色彩映画、至純の華やぎ(色彩喜劇の創造;豊潤の極みへ;死を養う色)
小津安二郎は、何を撮り、何を語ったのか
著者等紹介
前田英樹[マエダヒデキ]
1951年、大阪府生まれ。批評家・立教大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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