講談社学術文庫
ゴンチャローフ日本渡航記

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  • サイズ 文庫判/ページ数 443p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061598676
  • NDC分類 291.09
  • Cコード C0126

出版社内容情報

判型:A6判
頁数:448p
造本・体裁:仮製・薄表紙・カバー

ロシアの文豪が観察した幕末長崎の日本人。

『オブローモフ』で有名なゴンチャローフはプチャーチン提督の秘書官として1853年長崎に来航した。その眼に映じた庶民の姿、幕府全権との会談の様子を詳述。

内容説明

一八五三年八月、通商を求めるプチャーチン提督の秘書官として長崎に来航したゴンチャローフ。通詞を介しての奉行とのやりとり、さらに幕府全権・筒井政憲、川路聖謨らとの交渉が進められてゆく。傑作『オブローモフ』作者の目に、日本の風景、文化、庶民や役人の姿はどう映ったのか。鋭い観察眼と洞察力にユーモアを交え、芸術的に描かれる幕末模様。

目次

第1章 小笠原諸島(シナ海;疾風 ほか)
第2章 一八五三年末と一八五四年初頭の日本におけるロシア人(その一)(長崎港に入る;日本人の初訪問 ほか)
第3章 一八五三年末と一八五四年初頭の日本におけるロシア人(その二)(相互の贈物;新しい顔ぶれ ほか)
第4章 琉球諸島(海岸の景色;泊津 ほか)

著者等紹介

ゴンチャローフ,イワン・アレクサンドロヴィチ[ゴンチャローフ,イワンアレクサンドロヴィチ][Goncharov,Ivan Aleksandrovich]
1812‐1891。1859年の作品『オブローモフ』で文壇に不動の地位を築く。1852‐1855にパルラダ号による世界周航に参加した

高野明[タカノアキラ]
1927‐1986。早稲田大学露文科卒。日露交渉史専攻。早稲田大学図書館勤務、同大講師を兼務

島田陽[シマダヨウ]
1936年生まれ。北海道大学露文科卒。19世紀ロシア詩専攻。早稲田大学講師、東京大学、東京国際大学教授を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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シン

7
ロシアと日本の文化の歴史的衝突、これがいかに刺激的であったか想像するのは難しくない。ロシアの日本を蔑む態度は鼻につくが、ゴンチャローフの彗眼には下を巻く。以下、解説から引用。翌年一月四日、全権員がパルラダ号を訪問した。これは歴史上最初の日本人による外国船訪問である。ロシア人は歓迎の準備に没頭したが、他方全権員の方は、ことによればそのまま外国に連れ去られるのではないかという危惧を抱いて、また艦上で何か異変が起これば日本人もろとも大砲で打ち砕くという打合せのもとに、決死の覚悟で乗り込んだ(続く)2016/02/17

よしもと まき

1
ちょんまげに対する描写がまじうける!腹抱えて笑った。けどそれだけじゃなくて、幕末の日本に関する造詣も深まる1冊。2017/08/10

露傍の石

0
さすが、と唸らせる観察力を発揮するゴンチャロフ。川路聖謨に関する記述は、たびたび引用されている箇所。時に辛辣で、時に皮肉っぽく、当時の欧州から見たいかにも不可思議な東洋の島国との交渉の場を、交渉内容は二の次に、人間模様を中心に記している。2017/05/24

豆

0
やっぱりチョンマゲはショックだよね。2013/08/26

コカブ

0
作家として知られるゴンチャロフは、1853年にプチャーチンの秘書官として日本に来航し、日露交渉に携わった。この時の航海を「フリゲート艦パルラダ号」として出版し、日本部分だけを訳出したのが本書。日本側全権の1人だった川路聖謨は、日記で、ゴンチャロフを「軍師」「謀主」などと評している。ゴンチャロフは相当交渉に携わったはずだが、本書では全く交渉内容に触れていない。色々制約があったのだろうが、そこも書いてくれたらなお良かった。しかし日本側に接待されるシーンなど、交渉の周辺部分だけでも充分面白かった。2012/11/14

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