出版社内容情報
我々は、手塚以降の豊潤な時代に生きている。マンガ史の空白に突如として現れ、マンガ表現論の新地平を拓いた名著、ついに新書化。豊潤な「マンガの時代」は神の不在の上で花開いた
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか? いや、そのようなことは決してない。マンガ評論における歴史的空白のなかにあっても、新しいマンガたちが描かれ、読まれ、愛されているのだ。では、神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか? そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか? 歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。
伊藤 剛[イトウ ゴウ]
著・文・その他
内容説明
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか?いや、そのようなことは決してない。神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか?そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか?歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。
目次
第1章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説(なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか?;「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性 ほか)
第2章 切断線を超えるもの―いがらしみきお『ぼのぼの』の実践(いがらしみきおの認識;『ぼのぼの』と『動物化するポストモダン』 ほか)
第3章 「キャラクター」とは何か(「キャラ」とリアリティ;『NANA』は「キャラ」は弱いけれど、「キャラクター」は立っている ほか)
第4章 マンガのリアリティ(マンガにおける近代的リアリズムの獲得;「コマわり」とは何か ほか)
第5章 テヅカ・イズ・デッド―手塚治虫という「円環」の外で(手塚治虫という円環;より開かれたマンガ表現史へ)
著者等紹介
伊藤剛[イトウゴウ]
マンガ評論家、鉱物愛好家、東京工芸大学マンガ学科准教授。1967年名古屋市生まれ。名古屋大学理学部地球科学科岩石学鉱床学講座(当時)卒。日本マンガ学会会員。NTTデータ退社後、浦沢直樹のアシスタント、マンガ家活動を経て文筆の道に入る。2005年、本書の底本となる『テヅカ・イズ・デッドひらかれたマンガ表現論へ』を上梓。マンガ評論の新地平を切り開くものと高い評価を得た。現在は執筆活動も継続しつつ、大学教員として多くのマンガ家を世に送り出している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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またの名
しゅん
空箱零士
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