星海社新書
テヅカ・イズ・デッド―ひらかれたマンガ表現論へ

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  • サイズ 新書判/ページ数 364p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784061385566
  • NDC分類 726.1
  • Cコード C0295

出版社内容情報

我々は、手塚以降の豊潤な時代に生きている。マンガ史の空白に突如として現れ、マンガ表現論の新地平を拓いた名著、ついに新書化。豊潤な「マンガの時代」は神の不在の上で花開いた
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか? いや、そのようなことは決してない。マンガ評論における歴史的空白のなかにあっても、新しいマンガたちが描かれ、読まれ、愛されているのだ。では、神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか? そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか? 歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。

伊藤 剛[イトウ ゴウ]
著・文・その他

内容説明

1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか?いや、そのようなことは決してない。神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか?そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか?歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。

目次

第1章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説(なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか?;「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性 ほか)
第2章 切断線を超えるもの―いがらしみきお『ぼのぼの』の実践(いがらしみきおの認識;『ぼのぼの』と『動物化するポストモダン』 ほか)
第3章 「キャラクター」とは何か(「キャラ」とリアリティ;『NANA』は「キャラ」は弱いけれど、「キャラクター」は立っている ほか)
第4章 マンガのリアリティ(マンガにおける近代的リアリズムの獲得;「コマわり」とは何か ほか)
第5章 テヅカ・イズ・デッド―手塚治虫という「円環」の外で(手塚治虫という円環;より開かれたマンガ表現史へ)

著者等紹介

伊藤剛[イトウゴウ]
マンガ評論家、鉱物愛好家、東京工芸大学マンガ学科准教授。1967年名古屋市生まれ。名古屋大学理学部地球科学科岩石学鉱床学講座(当時)卒。日本マンガ学会会員。NTTデータ退社後、浦沢直樹のアシスタント、マンガ家活動を経て文筆の道に入る。2005年、本書の底本となる『テヅカ・イズ・デッドひらかれたマンガ表現論へ』を上梓。マンガ評論の新地平を切り開くものと高い評価を得た。現在は執筆活動も継続しつつ、大学教員として多くのマンガ家を世に送り出している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

またの名

14
「ぼくら」などという曖昧な読者共同体を勝手に立ち上げてヒューマンな手塚的漫画以外は漫画と認めないフィルタリングを、冷静かつ明晰にフルボッコした名著。手塚が全ての漫画表現の起源にされてしまう基準に代えてシステム論や映画理論を用いる分析は、他ジャンルに寄りかかって済まさないで漫画独自かつ客観的な表現論の確立を目ざす。ちゃんと定義されてたわけでもないキャラクター/キャラの違い、コマわりと言い習わされてきた技法を論理的に基礎づける手並みに溢れる気負いが宣言した通りを実行。これは確かに踏み台にすべき前提となる議論。2017/03/07

しゅん

13
手塚治虫が近代マンガのすべてのはじまりだったという根深い神話を解体し、マンガ批評に新しい風を呼び込んだ一冊。明確な目的意識で貫かれているが故に若干地道な論考ではあるものの、これまでのマンガ論をすべてひっくり返すようなダイナミズムがとにかく刺激的だった。特に手塚『地底国の怪人』を基にしたキャラ/キャラクターの差と、その差が隠蔽される流れを明るみに出した分析は見事だし、読んでいて気持ちいい。映画や小説など隣接する他ジャンルの分析の参考にもなる。しばらく離れていたマンガ表現に、また近づいてみようかしら。2017/04/03

空箱零士

11
マンガ(評論)界の「神話」となってしまい、取り分け九〇年台以降のマンガの語りを困難にしてしまった手塚治虫及び作品群(「手塚治虫という連環」)に対し、マンガ全体を表現論(「キャラ/キャラクター」「フレームの不確定性」)の観点から語り直すことで、「神話」に依らないマンガの語りの橋頭堡を作ろうという試み。手塚の革新性の説明としては常識的な認識である「映画的な表現」は必ずしも手塚オリジナルではなく、むしろそのようなマンガ認識こそ、言説の要請も相まって九〇年代以降の閉塞感を作り出す一員となった、という指摘が印象的。2017/10/21

みのくま

8
本書は、あまりにも手塚治虫が偉大すぎた為マンガ表現の起源が手塚に収斂してしまっていると指摘する。手塚に縛られる事なくマンガを語る事で、例えば本書刊行当時の「マンガは終わった」という言説のピントの外れ具合を指弾できる。結果、マンガ研究がよりひらかれるという事らしい。そういう意味では2019年現在、マンガ研究はよりアカデミックな方向に舵を切っており、手塚の亡霊からは振り切れたかもしれないが、別の袋小路にはまり込んでいる気もする。概してぼくの読後感だと「テヅカ・イズ・デッド」イズ・デッドと言ったところか。2019/05/05

ころこ

5
マンガはつまらなくなったという批判が、ちょうど手塚治虫が亡くなった80年代後半以降のマンガに対し起こります。それでは、マンガの独自性とは何か。本書では、それを『キャラ』『コマ構造』『言葉』の要素に分けて説明しようとします。3章のキャラ論では、キャラとキャラクターと峻別しています。キャラとは、比較的単純な線画による見た目の特徴と人格を持つ、作品横断的で再帰的な背景化した固有名と定義できます。他方、キャラクターは、キャラを基にコンテクストに縛られ、身体の表象として現前化した作品の登場人物と定義できます。ここで2017/09/17

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