内容説明
古くさい因習の共同体とイメージされがちな近世の村社会。だがこの時代、百姓たちは生産力の主な担い手であり、互いに支え合いながら田畑を切り拓いて耕し、掟を定めて秩序を保ち、時には国家権力にさえ物申す存在だった―。活力あふれる村の生活を丹念に追うことから近世日本に新たな光を当てる、画期的な一書。
目次
第1章 村の景観(村絵図を読む;村の形;郷帳・国絵図の村)
第2章 村の成立(地侍衆と村衆;村造りと公儀;地元を去る者・残る者)
第3章 百姓と領主(村の掟と村役人;法度と掟;相給村から;触書と願書)
第4章 暮らしと生業(四季の暮らし;草肥農業;農家経営)
第5章 開発と災害(開発の臨界;生業が生む災害;自然史の中の社会史)
著者等紹介
水本邦彦[ミズモトクニヒコ]
1946年群馬県生。1975年京都大学大学院文学研究科博士課程単位修得。愛媛大学助教授、京都府立大学教授、長浜バイオ大学教授を経て、京都府立大学・長浜バイオ大学名誉教授。専攻は日本近世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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AICHAN
40
図書館本。ほんの50年から100年ほど前まで日本全土の多くを占めた村。その成り立ちや役割、運営の仕方などについて、詳細に論を進める。やや論文調の嫌いがあって読みにくい部分はあるものの、村についてよく調べていて、近世までの日本を底辺から支えていた村についてうまく分析している。村の掟についても詳細に紹介していて、読んでみたら私には到底守れないと思った。江戸時代の村に私が生まれていたら、すぐに不満を感じそれをためておけない私のような奴は打ち首か追放処分になっていただろう。2021/01/25
きいち
28
これまでの知識が次々とつながっていく快感。◇「相給村」!地域がどこでも一つのまとまりというのはただの思い込み、一つの村が家や田んぼごとに複数の領主に帰属してることもあるだなんて。数字上のフィクションとしての村とは面白い。宮本常一が説く、村は生産のための機能的な集団でもあるということを、この本は史料や絵図で歴史学の立場からわかりやすく示してくれる。なるほど、そういうことなら地域間、階層間移動がありうるとわかる。◇人口が増え新田開発が進んだことで再生産のシステムが壊れ、貨幣経済へ移行していく過程もおもしろい。2015/04/26
壱萬弐仟縁
27
図1-3 百姓の定義(11頁)。広義の百姓は村の居住者。狭義は農業専業。 図1-5 共同体の原風景(17頁、宮家準)。サトは居住空間/犬・猫・鶏・牛・馬。 図4-3 信濃国伊奈(那)郡の山々(143頁)。清内路、波合、阿知川、昼神と、馴染みの地名が見られる。古地図。 17C末、開発限界。稲作は米の過剰生産から高物価・低米価状態を招いた。開発行き詰まりの打開策が課題となったという(171頁)。 2015/08/08
yamahiko
18
村の成立過程を古文書と絵図から解きほぐす。さらに村の生産システムの変化をクローズドシステムからオープンシステムへの発展と捉え、変化に付随する災害を公儀がどのよう対応したかについても丁寧に言及している。2016/08/28
coolflat
12
近世の村は、戦国期、百姓たちの生産・生活拠点として歴史の舞台に姿を現した村を母体に生み出された。そのプロセスは、①15~16世紀、ムラを生活拠点とする百姓の生産活動が活発化し、山野や用水の利用を巡って他村衆と争う紛争が激化し始めた。②そうした中で、地域社会の有力者であった土豪・地侍衆の領衆化の運動が進行し、ヨコ型・タテ型に方向での地域管理の仕組みが模索されていった。しかし、いずれの方向も、地元に立脚するという点で私的な利害の払拭が難しく、それが騒乱を増幅させることとなった。2017/11/12