内容説明
ヴァレリー(1871‐1945)の最も美しいとされる三篇の対話。建築と音楽を手がかりに哲学と芸術の岐路をソクラテスが弟子に語る「エウパリノス」、詩人によるダンス評論の古典「魂と舞踏」、最晩年の「樹についての対話」を収める一冊は、『カイエ』『ムッシュー・テスト』等、思索と創造二つの道を歩んだ20世紀知性の内面を明かす。
目次
エウパリノス
魂と舞踏
樹についての対話
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うえぽん
25
20世紀の知性と称されるヴァレリーによる3遍の対話。学生時代に経験した抽象的なるものへの志向と年上の夫人への報われざる恋情の経験が、いずれの作品にも投影されているように感じる。「エウパリノス」では、死後のソクラテスに弟子パイドロスが紹介する建築家エウパリノスの言葉は、四方八方から包み込む建築と音楽の類似性を感じさせ、幸せな恋をしたコリントスの娘が愛情を込めて歌いかける様子を想起させる。「魂と舞踏」では、焔のように踊る舞踏家アティクテが最後に旋回して倒れ込み、「何ていい気持」と呟く場面は極めてオペラ的だ。2023/10/09
やいっち
17
本書を読んで初めて知ったのだが、ヴァレリーは若いころ、建築に熱中したのだとか。建築は形象化された音楽という理解をする人もいる。ある種の音楽の至上の一瞬を凝縮し形に示すということなのだろうか。 散文詩的な詩論なので(小生の理解も及ばないし)、要約は野暮な試みだろう。むしろ、ヴァレリーの詩を味わうしかない。なんていうと、ヴァレリーに叱られるだろうが。2017/05/01
月
10
自然に対する観察のその先には、「造ること」と「知ること」・・言い換えるならば「建築家」になるか、「哲学者」になるか・・選択の分岐点を迎える。前者は「行動する」ことを意味し自然のすべてを必要とせずにその一部を必要とするのに対して、後者はさらに深く「観想する」ことを意味し自然のすべてを知ろうと欲する。エウパリノスにおけるこの「自然>身体>精神」の関係、「造る(建築家)」「知る・観想する(哲学者)」の対比・繋がりは興味深く、三篇ともある意味「精神」が題材でもあり、ヴァレリーらしいテーマといえる。 2017/10/19
希い
7
ヴァレリー珠玉の三篇の対話から成る本書を全体に渡り味わい尽くせた訳ではないが、秀作に挟まれた「魂と舞踏」、この対話篇の語りとその表現とには深く感銘を受けた。魂の為す探究の価値をあのソクラテスが訝り、舞踏が魅せる生命のより善い在り方、より美しい在り方について論議する場面には、作者の粋なアイロニーに匿われた、思想家としてのヴァレリーの姿が見え隠れする。又、陰鬱な真理の探究と生命の謳歌としての舞踏を背馳させ、後者の賛美に筆を尽くした事には、舞踏と芸術創造を同一とする物静かな作家の秘めた熱情を感ずる事もできよう。2013/01/02
壱萬弐仟縁
6
「魂と舞踏」のソクラテスの台詞で、「生きることへの倦怠」(傍点165ページ)とある。アンニュイ。「完璧な倦怠、あの純粋な倦怠、(略)じっと見つめてもこの上なく幸福に見える境遇とも共存してしまう倦怠(略)―要するに、生それ自体以外にいかなる実質ももたず、生きている人間の明察のほかに第二の原因などのない倦怠」(165ページ)。いろんな種類の倦怠があるのものなのか。評者は脱力感やら虚無感ははやり、原発事故の収束や除染を突きつけられると絶対的な倦怠に陥ってしまう感覚がある。更年期障害もこんなアンニュイかなと推察。2013/02/06