出版社内容情報
酒を愛する田園詩人,隠者という典型的な淵明像は,魯迅が指摘したように一面的な捉え方にすぎない.では,淵明詩の「新しさ」と真価はどこにあるか.「望」と「見」,「悠然」と「悠々」等の語の使い分けに着目し,風景だけでなく自身をも距離を置いて眺める独特の「視線」や空間把握が可能にした自由さやゆとり,ユーモアを分析する.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
たけはる
3
前半部にある、各時代の知識人による陶淵明評価の変遷がとくにおもしろい。すなわち、淵明が真に評価されだしたのは宋代に入ってからである、という。個人的に、そういう変遷をたどった理由は「陶淵明が先を行きすぎていた人だから」ではないかなあ、と思いました。たぶん、淵明という人は、その人生の途中で『わたしはひとりの人間として生きていい』ということに気づいてしまったのではなかろうか、と。 当時の……というか中国の知識人社会というのは、長いこと儒教的価値観の下にあったと聞きます(それを否定するわけではない)。→2018/03/01
佐藤丈宗
0
陶淵明に対する評価の変遷を論じた第一部が面白かった。はじめは詩人というよりも隠者としての生き方が評価されており、時代が下るにつれてその詩自体が認められるようになっていく。「田園詩人」が枕詞となっている俗世から隔絶したというイメージがある陶淵明の作品に、実は政治への関心が失われていないと指摘する魯迅の説など、多くの人々によって語られてきた「陶淵明像」の多彩さ。第二部で語られる、陶淵明の詩に含まれる「距離」「風景」という要素。陶淵明の作品に対する興味がそそられる。2017/07/17