内容説明
自分が属している社会の不正を糾すのに、どのようなやり方があるのだろうか。天下りの原理を振りかざして外側から弾劾するのではなく、その社会に暮らす人びとに通じる言葉を用いながら、しかもラディカルな批判を展開することは、果たして可能か。著者によれば、この『暮らしに根ざした批判の流儀』は、共有された伝統を相手とする『解釈』によるほかない。そして、『解釈としての社会批判』の実践例を17世紀のジョン・ロックから20世紀までたどり、サルトル流の政治参加(アンガージュマン)の限界を衝く。最終章では、旧約聖書の預言者アモスの活動が社会批判の範型として読み解かれる。本格的な解題と文献表も収録。
目次
第1章 道徳哲学の三つの道
第2章 社会批判の実践
第3章 社会批判者としての預言者
感想・レビュー
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白義
15
道徳の探求、批判という営みを、地に足のついた解釈学的な視線から位置付けた、ウォルツァーの方法論のエッセンスとも言える隠れた名著。ハーバーマス流の討議やロールズの社会契約でもない、闘技民主主義でもない、その中間の対話、社会作りの方法を開示している。道徳哲学を、神への啓示や普遍理性の発見に頼るのでもなく、ある原理を想定して体型を発明するのでもない、内在的な自己とその社会の拡張としての社会批判。社会の内側で暮らしながらラディカルな批判を展開する、というあり得そうもないスタイルを完璧に擁護している2011/09/16