内容説明
かくも「過激」な大学批判。かくも「保守的」な教育擁護。
目次
第1章 大衆教育社会と大学・短大・専門学校(教育の大衆化と大学;唯野教授の大学改革;大衆教育社会のなかの「実学」 ほか)
第2章 国民国家を再生させる装置(『学問のすゝめ』は大衆社会でも有効か?;そのために死にうる「国家」;ゾンビの共同体 ほか)
第3章 世紀末的諸問題と教育(「甘言」を保護する装置;歴史相対主義と「享楽」;国民皆兵・家・義務教育 ほか)
第4章 座談会 モラトリアム諸君、甘言にダマされるな―装置としての専門学校・セイフティー私大(〓秀実;呉智英;藤井良樹)
感想・レビュー
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真・じゃが
2
大学入試についての以下の文章にニヤリとしてしまいました。 「高校時代のボランティア活動を、入試に際して積極的に評価しようという方向が、肯定的に喧伝されているが、ボランティアなど「偽善」に過ぎないと思う―これまた「健全」な―「個性は」この場合どうなるか」(p.71)2014/03/10
kokada_jnet
2
98年刊行。当時ジャナ専勤務のスガが、専門学校という教育問題論議で絶対とりあげられない題材を中心に、近代の果てで制度疲労を起こした教育問題を論じる。巻末の呉智英、藤井良樹(この人、消えたねえ)との鼎談がナイス。2009/11/09
1
68年の「(反)革命」として、市民社会の再生産を目的とした大学の「規律=訓練」が崩壊したことで、例えば専門学校のように「ジャンク」を産み出すことに他ならないが、ネオリベ化してゆく社会において市民社会というものが未だに成立するという前提に立つ限りその批判は空転してゆくしかない。「慰安婦問題」にも言及しているが、保守派が「祖国のために死ぬ」という男性的=民族主体的論理で市民主義的論理を解体したければ、「女性は二流市民である」と明確に公言しなければならない、と。もちろん、そう公言して憚らない連中はいるけど。2017/12/03