目次
1 反逆する風景
2 増殖する記憶
3 汽水はなぜもの狂おしいのか
4 幻夜雑記
5 観覧車のある風景
6 極小宇宙から極大宇宙へ
著者等紹介
辺見庸[ヘンミヨウ]
1944年宮城県石巻市生まれ。早稲田大学文学部卒業。1970年共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て、1996年退社。1978年日本新聞協会賞、1991年『自動起床装置』(文藝春秋)で芥川賞、1994年『もの食う人びと』(共同通信社)で講談社ノンフィクション賞、2011年『詩文集生首』(毎日新聞社)で中原中也賞、2012年『眼の海』(毎日新聞社)で高見順賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
フジ
15
実にいろいろな「風景」を見てらっしゃいますね。フィクションの中の世界のようです。自分も知らず知らず、そういう「反逆する風景」を見ているのかもしれませんが、意識していないのか記憶には残っていません。味は記憶だ。だから人から聞いた知らない味の記憶も本当に食べたかのように錯覚してしまう――そうですけど、この本を読んだ人たちにも多種多様な味をあじあわせようとしているかのようでした。日本で生活しているだけではお目にかかれないような「風景」の記憶が、この本にはたくさん詰まっています。2015/05/28
ソルト
14
「風景はかならず意味に反逆する」「風景が意味と言葉に対して凄まじい勢いで荒れ狂っているではないか」私には風景が反逆するさまが見えない。筆者の書いたものを読んで、ダッカの行倒れを、ハノイのぼろホテルを、観覧車のワゴンから見える数億トンのタールの溜まりみたいなベイを想う。実際には見ていないのに目に浮かぶ。私達は錯覚し、見たいように見、見るべきものは見ない。例えば「核軍縮と哲学の貧困」(1989年)「米ソ保有の5万発の核弾頭で5万回死ぬとする。その死がたったの4千回分減るからといって喜べるだろうか」もっと見よう2016/10/26
qee
10
辺見さんの数多の経験が辺見さん自身に反逆する風景を思索する機会を与えたのだと思う。だって、普通の人はこんな奇妙な体験はしていないだろう。 まあ、していたところでそこに無意味に意味を見いだしてしまい、風景の反逆をなかったことにしてしまうのが普通の人なんだろうけどね。そんな普通の自分には辺見さんの感性には感じ入りました。世界を捉える新たな視点をいただいた気分です。 当たり前のことだけど、自分の見ている世界と他人の見ている世界は違うのだ。2015/11/15
Melody_Nelson
6
昔に読んだ「もの食う人びと」を読んだ時ほどのインパクトはなかったけれど、辺見氏独自の視点にはハッとさせられることがある。「風景」が「反逆する」という表現からして、引き込まれる。 「他人の記憶を食う」や「カエサルの死の現場にBGMは流れたか」あたり、特に同感する。2015/11/29
アンドエヴァー
5
目の付けどころが違う。視点がちがう。こんなテーマでここまで書けてしまうなんて。別の世界に連れて行かれたような感覚になりました。そういうのって本を読んでいるときにときどきあるんですけど、今回のは初めての感覚です。今まで来たことがない別世界でした。2015/07/11