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無伴奏 ― イザイ、バッハ、そしてフィドルの記憶へ
小沼純一
アルテスパブリッシング
(2008/11 出版)
206p / 20cm / B6判
ISBN: 9784903951119
NDC分類: 763.42
価格: ¥1,995 (税込)
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詳細
今年生誕150年を迎えるベルギーの作曲家ウジェーヌ・イザイの生涯と、彼が1924年に作曲した《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》全6曲を中心にしながら、バッハをはじめとする無伴奏ヴァイオリンのための作品を俯瞰し、さらにこの楽器が民衆のあいだで「フィドル」とよばれていたころのいにしえの記憶にまでさかのぼって、「ひとりで音楽を演奏すること/聴くこと」についての根源的な問いを提示した音楽論。
1 ひとりでヴァイオリンを弾くこと──はじめに
2 〈無伴奏〉の作曲家たち──バッハ、パガニーニ、ヒンデミット、バルトーク……
3 「鳥たちは歌い、イザイはヴァイオリンを弾く」──ウジェーヌ・イザイの生涯
4 フィドルの記憶──イザイの無伴奏ソナタをめぐって(1)
5 音のかたち──イザイの無伴奏ソナタをめぐって(2)
6 ひとりでありつづけることをひきうけるために──むすびに
あたりまえであるはずのこと、日常的にごくさりげなくおこなわれていることが、ひとからすればあたりまえでもさりげなくもないことがある。
いくらも例を挙げられようが、たとえば、楽器を弾く、のはどうか。弾かないひと、どんな楽器でも手にした経験のないひとからしたら、なんらかの「曲」が弾けてしまうことも、弾けるためになんども練習することも、他に誰もいないところで、自分の音を聴きながら弾いていることも、なにかしら違和感がないだろうか。いや、多くの場合、そんなことなど想像しないかもしれない。弾くひとは弾くひとであり、それは音楽であるかどうかより音がしているかしていないかであり、うるさいかうるさくないかであり、ひとりで弾いているのが「曲」なのか、指ならしなのか、どうだっていい。とはいえ、もっと近寄ってみたらだろう。透明なからだになって、そっと、楽器を弾いているひとりきりのひとの部屋にはいり、その姿を見るとしたら。
ピアノではなく、ギターではなく、ヴァイオリンのような、音をひとつひとつ奏でることがしばしばであるような楽器について、そういう楽器を奏でること、その行為について、それもヨーロッパの、近代の、(芸術)音楽のなかで、考えてみたかった。そのことを、ひとつのセットとしての作品とともに、考えてみられたら。(前書きより)
本書は「ひとりで音楽を演奏すること/聴くこと」の孤独と歓びとに向き合った独創的な音楽論です。「無伴奏」ということばが喚起するイマジネーションのひろがりを、読者のみなさんと共有したい。そして、ヴァイオリンの音の「てざわり」を、どこか感じさせるような、そんな本をつくりたいと思い、内容だけでなく、造本や装丁などにも工夫をこらしました。
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