目次
第1部 アイデンティティ―他者と自己のあいだで(いま、“レズビアン・アイデンティティ”を語ること;アイデンティティ・ポリティクスを辿ってみる;「レズビアンに“なる”」こと)
第2部 ソーシャリティ―国家・制度と自己のあいだで(社会的行為としての“カミングアウト”;セクシュアル・マイノリティと人権施策―国家による承認をめぐって;“反婚”の思想と実践―同性間の婚姻への批判的考察)
第3部 コミュニティ―人びとのあいだで(“コミュニティ”形成とその“アイデンティティ”;“アイデンティティ”の共有の困難と可能性)
著者等紹介
堀江有里[ホリエユリ]
1968年、京都市で生まれ、神奈川県で育つ。専門は、社会学、レズビアン・スタディーズ、クィア神学。横浜共立学園中学・高校、同志社大学神学部卒業。同志社大学大学院神学研究科歴史神学専攻博士課程(前期)修了(神学修士)。大阪大学大学院人間科学研究科後期課程修了(博士(人間科学))。現在、立命館大学ほか非常勤講師、(公財)世界人権問題研究センター専任研究員。信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会(ECQA)代表。日本基督教団牧師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Koning
23
小洒落た表紙と思っていると中はがっつり。確かにこの蔓植物のように複雑怪奇と思える現状。著者は日基の牧師でセクシャルマイノリティーと教会の関係も取り上げている。で、実際「レズビアン」という呼び名、分類関係性ってどうとらえるべきなのか?という話もそうだけど、生物学的な性すら科学的には男女2択はなくて正直グラデーションでしかない訳で、結局社会との関わりでってのがよく分かるというか。明治民法の「家」に固執するからこその問題点は確かにという感じ。途中性同一性障害の戸籍変更の問題(成立時にも問題になった(続2015/11/19
katoyann
20
レズビアンが異性愛主義と男性中心主義社会の中で不可視化される構造やカミングアウトの是非、同性婚の是非まで幅広く論じた研究書。女性を性的客体とする男性中心主義の社会規範は、男性を必要としない身体イメージを容認しないため、レズビアンに対して性的でポルノ消費的なイメージを付与してきた(132頁)。レズビアンにとりカミングアウトは、異性愛主義と男性のポルノ消費のイメージを拒絶する意味がある。結婚については戸籍制度の差別性やモノガミー規範に包摂されることの問題も提起している。一枚岩ではない権利イメージが喚起される。2021/11/08
みみみんみみすてぃ
10
★★★★★ これほど気軽に手にとって、そしてバッと読めて、それも自分にとって読書体験の密度が濃かったことはない。それだけ、書物の内容というよりも、著者の繊細な思いが端々に現れている気がする。素晴らしい本だと思う。「抵抗としてのマイノリティ・スタディーズ」という副題を考えてみた(笑) ジェンダー系の本は久しぶりだが、自分の中で何か火が着いて、これからの着火剤になりそう。2016/02/20
なめこ
5
真摯で誠実な論考のおさめられた、とても美しい本だった。男ではないもの、そして異性愛者ではないものとして、二重のスティグマを押し付けられているレズビアンという名前を自らに引き受けること、レズビアンというアイデンティティを持つことの可能性、不可能性について、逃げずに向き合っている。同性婚などをめぐる議論のなかで、現行の婚姻制度の基盤となっている戸籍制度がすでに強力な差別装置として働いていることに触れられているのが頼もしい。これから、自分自身の問題として、考えていきたい。2016/08/19
りゃーん
4
「(前略)そこに横たわるジェンダーの違いから、レズビアンの<カミングアウト>は、ゲイ男性と比較して、二重の困難があることをあきらかにした。その困難とは、①その意味が受け取られずに、表明という行為自体が無化され、存在が不可視化されるという側面と、②(異性愛の)男たちのためのポルノグラフィで使用されてきた解釈装置によって、「歪められた承認」を付与され、抹消されるという側面」。レズも、アイデンティティもどちらも終っていない、問題が温存されてきたのだ。本書は、マジェスティック・スタンド~誇りある抵抗、の書である。2015/11/20