内容説明
公式確認から半世紀にいたる水俣病が、二〇〇四年最高裁判決が裏付ける通り未だに終わり得ないのは何故か。被害地に生まれ闘いの下で生涯を閉じた著者の全軌跡の中にその解がある。
目次
ドキュメント自主交渉
第1部 通史・わが水俣病(自主交渉闘争にいたる半生―川本裁判供述書;不知火海に広がる未認定患者の運動;反弾圧と国家責任追及 ほか)
第2部 水俣病とは何か(社会論・何が患者を封じ込めたか―水俣病への偏見・差別考;医学論・患者からみた水俣病医学;認定はどうあるべきか―水俣病の疫学と病像 ほか)
資料編(熊本県水産課技師の復命書(一九五二、五七年)
保健所の患者確認第一報(一九五六年)
見舞金契約(一九五九年) ほか)
著者等紹介
川本輝夫[カワモトテルオ]
1931(昭和6)年、熊本県水俣市生まれ。県立水俣高校中退後、漁業手伝・建設作業員・チッソ臨時工などを経て病院勤務。寝たきりの父を介護しつつ准看護士資格を取得する。父の死や自身の発病を契機に水俣病の潜在患者発掘を開始。1971(昭和46)年、行政不服審査請求の裁決で患者認定を得ると補償要求の自主交渉でチッソ東京本社に座り込み。1973(昭和48)年、勝訴判決の訴訟派患者とともに画期的な補償協定を勝ち取る。自主交渉時に受けた刑事訴追は、検察の起訴自体を不当とする「公訴棄却」で決着。以後も未認定患者運動の先頭に立ち、被害実態の解明と行政責任の追及に生涯を捧げた。水俣病患者連盟委員長を二二年間、水俣市議会議員(無所属)三期。1999(平成11)年、肝臓癌のため六七歳で逝去
久保田好生[クボタヨシオ]
東京・水俣病を告発する会、水俣に産廃処分場?とんでもない!全国の声、高校教員
阿部浩[アベコウ]
茨城・水俣病を告発する会、大学生協職員
平田三佐子[ヒラタミサコ]
東京・水俣病を告発する会
高倉史朗[タカクラシロウ]
ガイアみなまた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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