内容説明
思索するとは謎を呼吸することだ。読むとは絶句の息遣いに耳を澄ますことである。終わりと見えることは、次への始まり以外であり得ない。存在そのものに迫る、謎の思索日記。
著者等紹介
池田晶子[イケダアキコ]
1960年生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で表現し、多くの読者を得る。著作は数多く、中でも『14歳からの哲学』は反響を呼ぶ。2007年2月23日、没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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踊る猫
28
さながら最果タヒの初期の詩のように、切り詰められた言葉を詩的に撒き散らし瞬間を切り取ろうと著者はあがく。だからここではアイデアは常に出る尻から提示されるだけで、それについて深く考察されることはない。故に、生煮えの思いつきの羅列のように読める。だが、注意深く読むと著者が常に「私がここにいること」「生きていること」に問題系を設定して、世界の奇跡や神秘を語る言説へとその個人的な問題をつなげていることに気付かされる。いわば「セカイ系」哲学(!?)。ここからなにかが始まるとは思わないが、侮れない一冊でもあると思った2022/02/28
双海(ふたみ)
13
謎の思索日記。著者の認識を辿るメモ。ほんとうにわけがわからない。わかるものだけ幾つか拾ってみる。「死ぬことは重要ではない。人は必ず死ぬからである。だから生きることが再び重要となるのである」・「理性はまっすぐに伸びてゆく 感覚は滲んで広がる」2016/08/27
Bartleby
10
著者の思索日記。出版されてすぐの頃読んで、それ以来久しぶりに手に取った。今なら「ああそうだったのか」と思えるところあるけど、やっぱりほとんど分からない。それでも詩を読むように断片的な言葉たちを眺めていると、徐々に日常の底が抜けるような不気味さを感じさせられる。でも、それだけじゃない。なんというか、少し、落ち着く。2014/08/13
Ryosuke Kojika
3
超私的な認識メモ。1997年、著者37歳。ほぼ現在の自分と同じ齢に、「絶句の息遣いに耳を澄ま」し、何を見たか。そして、私は何を見せられているのやら。何某である「こいつ」は狂気じみた、突拍子もない、そして、そうとしか言い得ない謎に魅了される。知れないけど知りたい。考える。沈黙する。感じる。呟く。「一度狂った人間は二度狂えないのだから、狂気と正気は表裏なのではなく同一なのだ」。2019/12/11
なつき
3
『リマーク 1997-2007』読了。歴史上においてもおそらくはたぐいまれなる、まったき哲学者、池田晶子氏のこれはメモ……なのかな。1997年から2000年の記述がメイン。まあしかし読んでいて笑ってしまった。じつに氏なのであるものな。私もちょうど今年で、氏に哲学に誘われて十年だ。2017/05/04