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内容説明
過度な絶望にも、過剰な希望にも惑わされず、「負けたこと」に負けない。自分自身の言葉を発し、いのちを充溢させるための竹内レッスンの思索の軌跡と実践の現場。
目次
第一章 ことばとからだに出会うまで―わが敗戦後史
第二章 「八月の祝祭」をめぐって―「人間」になる場
第三章 いのちを劈くレッスン―からだのつぶやきに耳をすます
著者等紹介
竹内敏晴[タケウチトシハル]
1925年、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、竹内演劇研究所を主宰。宮城教育大学、南山短期大学などで独自の人間教育に携わる。その後「からだとことばのレッスン」を創造・実践し現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うりぼう
1
竹内先生は、野口三千三先生と同じ動きの中から、正反対を向く。野口先生は、体との対話、竹内先生は、体から発する他者との対話。2007年ベスト72007/11/19
按摩沙弥
0
生きることのレッスンとは、人間になるためのレッスンを意味する。自分以前の自分、他人以前の他人に、声によって出逢った、からだの覚者による仏教書とあえて言いたい。 声は、存在そのものとなって存在に関与する。 名号を聞信した瞬間に、通じる。2017/03/27
枕流だった人
0
我孫子市民図書館
よっしー
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竹内敏晴の繰り返す「内発性」とは何か?能動的に自己反省する力と言ってみてもどこか物足りない。ならば、与えられた環境を当然のように受け入れて、その範疇でのみ謳歌される限定的な自由から自己を解放してやる力、とでも言えるだろうか。そこから生まれてくるのは、ある対象を解説してみたり描写してみたりするだけの、つまりは、ある対象に徹頭徹尾隷属するだけの、単なる情報交換としてのコミュニケーションではなく、声が「からだ」の一部であるような、存在そのものとしての肉感的な「ことば」である。…胡散臭い本でないこともないのだが。2012/01/21
メルセ・ひすい
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9-49 赤9 聴覚障害の中から獲得したことば、敗戦時の二度目の失語体験、演出、演劇活動等、自分の思索と体験を振り返りながら、なぜこのようなレッスンを始めたのか、また始めざるを得なかったのかを考えた。追い込まれた「からだ」に気づき、自分自身の言葉を発し、いのちを充溢させるための実践の軌跡と現場。自我の崩壊の危機を乗り越えて、からだ全体で関わり合った体験的思想に裏打ちされた、竹内レッスンの集大成。2008/02/28