マルチチュードの文法―現代的な生活形式を分析するために

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  • サイズ B6判/ページ数 259p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784901477093
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

内容説明

私たちは“多数的”だ。国家が後退した公的領域にあらわれた“マルチチュード=多数的なもの”の存在・活動・主体性を解き明かす。現代社会理論、現代思想の重要概念と政治的実践とを結びつける講義形式の入門書。

目次

序章(人民vsマルチチュード―ホッブズとスピノザ;追い払われた複数性―「私的なもの」と「個的なもの」 ほか)
第1章 懸念と防御(一日目)(怖れと不安という対の彼方へ;共有のトポスと「general intellect」 ほか)
第2章 労働、行動、知性(二日目)(ポイエーシスとプラクシスとの併置;名人芸について―アリストテレスからグレン・グールドへ ほか)
第3章 主体性としてのマルチチュード(三日目)(個体化原理;曖昧な概念―生政治 ほか)
第4章 マルチチュードとポストフォーディズム的資本主義についての一〇のテーゼ(四日目)
付録 パオロ・ヴィルノインタビュー/両義的な条件―“general intellect”・脱出・マルチチュード

著者等紹介

ヴィルノ,パオロ[ヴィルノ,パオロ][Virno,Paolo]
1952年にナポリで生まれました。70年代には様々な革命運動に参加しました。具体的には、ローマ、ミラノ、トリノ(フィアット)の工場労働者たちとの政治活動です。1979年に投獄されました。罪状は「反体制的結社」です(これはトニ・ネグリやその他の多くの人々と同じ訴訟です)。三年間の予防拘禁(つまり裁判に先立ち収監)を務めました。最後は無罪放免となりました。つねに哲学の勉強をしてきました。非還元主義的な唯物論へと、すなわち、自然と歴史、言語活動と生産諸関係を絡み合わせることができるような唯物論へと至る道を探していたのです。五年ほど前から、カラーブリア大学のコミュニケーション倫理学の教授を務めています。それ以前は、シナリオライター、ジャーナリスト(日刊紙「il manifesto」)、出版社の編集者などをしていました

広瀬純[ヒロセジュン]
1971年東京都生まれ。1997年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程(芸術学)修了。1999年、パリ第三大学映画視聴覚研究科DEA課程修了(仏政府給費留学生)。現在、パリ第三大学映画視聴覚研究科博士課程に在学中。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」(勁草書房)元編集委員。現在、仏映画研究誌「Vertigo」(Images En Manoeuvres ´Editions,Marseille)編集委員。「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」、「Vertigo」、「現代思想」、「インパクション」などに映画論・社会論の論文・翻訳多数
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

davi

2
「マルチチュード」概念についての解説を加えつつ、その可能性について実践的に語る一冊。政治思想をめぐり、同一性を前提とする人間集団=〈人民〉による政治(国民国家的論理)か、複数性を前提とする人間集団=〈マルチチュード〉による政治(非国民国家的論理)かを明確化した上で、「言語活動」「知性」「労働(=協働)」の現代的意味を再確認。2017/11/18

ばるたんせいじん

1
一般知性を分有しているマルチチュードの両犠牲。ポストフォーディズムのファシズムか、非代議的民主主義かという潜在的可能性に自分達が賭けることができるか。いや賭けなければならない。リベラリストの価値規範的な正義や人権に逃げてはいけない。この世界に存在がそのままさらされ、日常が演劇的な労働に包囲され、倫理も美学も闘争の対象になっている現在において、労働者評議会も国家権力の奪取にも逃げこまず、自己組織化のために。目的論的なよすがもない漂流状態の中でマルチチュードの議論に触発された者たちは実践のために存在を構成する2012/09/13

nanchara_dawn

1
「マルチチュード」とは、通常は「多数」「群衆」などと訳される言葉で、「人民」と二律背反の関係にある概念であるらしい("マルチチュードあるところに人民なし、人民あるところにマチチュードなし")。しかし、(一応、通読はしたのだけど、)それが具体的にどんな概念なのか、正直に言ってよく掴めなかった。鍵となるらしい「ポストフォーディズム」についての予備知識が無さすぎたからかもしれない……。/何回か登場する「述語」は、「術語」のことだと考えて良いのかなあ。それとも、そういう言葉の使い方があるの…?2012/07/10

Mt. G

0
①ポストフォーディズム(そしてこれとともにマルチチュード)が登場したのは、イタリアでは、一般に「1977年の運動」として記憶されている社会闘争によってである。②ポストフォーディズムはマルクスの「機械についての断章」の経験的実現である。③マルチチュードは自らのうちに労働社会の危機を映し出している。④ポストフォーディズム的マルチチュードによって、労働時間と非労働時間との質的な差異は消失する。2016/06/27

葛城吉隠

0
読書会で読む本ですが、何が言いたいのか分かりそうで分からない。要再読です。2016/01/07

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