内容説明
私たちは“多数的”だ。国家が後退した公的領域にあらわれた“マルチチュード=多数的なもの”の存在・活動・主体性を解き明かす。現代社会理論、現代思想の重要概念と政治的実践とを結びつける講義形式の入門書。
目次
序章(人民vsマルチチュード―ホッブズとスピノザ;追い払われた複数性―「私的なもの」と「個的なもの」 ほか)
第1章 懸念と防御(一日目)(怖れと不安という対の彼方へ;共有のトポスと「general intellect」 ほか)
第2章 労働、行動、知性(二日目)(ポイエーシスとプラクシスとの併置;名人芸について―アリストテレスからグレン・グールドへ ほか)
第3章 主体性としてのマルチチュード(三日目)(個体化原理;曖昧な概念―生政治 ほか)
第4章 マルチチュードとポストフォーディズム的資本主義についての一〇のテーゼ(四日目)
付録 パオロ・ヴィルノインタビュー/両義的な条件―“general intellect”・脱出・マルチチュード
著者等紹介
ヴィルノ,パオロ[ヴィルノ,パオロ][Virno,Paolo]
1952年にナポリで生まれました。70年代には様々な革命運動に参加しました。具体的には、ローマ、ミラノ、トリノ(フィアット)の工場労働者たちとの政治活動です。1979年に投獄されました。罪状は「反体制的結社」です(これはトニ・ネグリやその他の多くの人々と同じ訴訟です)。三年間の予防拘禁(つまり裁判に先立ち収監)を務めました。最後は無罪放免となりました。つねに哲学の勉強をしてきました。非還元主義的な唯物論へと、すなわち、自然と歴史、言語活動と生産諸関係を絡み合わせることができるような唯物論へと至る道を探していたのです。五年ほど前から、カラーブリア大学のコミュニケーション倫理学の教授を務めています。それ以前は、シナリオライター、ジャーナリスト(日刊紙「il manifesto」)、出版社の編集者などをしていました
広瀬純[ヒロセジュン]
1971年東京都生まれ。1997年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程(芸術学)修了。1999年、パリ第三大学映画視聴覚研究科DEA課程修了(仏政府給費留学生)。現在、パリ第三大学映画視聴覚研究科博士課程に在学中。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」(勁草書房)元編集委員。現在、仏映画研究誌「Vertigo」(Images En Manoeuvres ´Editions,Marseille)編集委員。「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」、「Vertigo」、「現代思想」、「インパクション」などに映画論・社会論の論文・翻訳多数
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感想・レビュー
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