内容説明
柄谷行人の思想、総決算と新展開。
目次
第1部 近代文学の終り(翻訳者の四迷―日本近代文学の起源としての翻訳;文学の衰滅―漱石の『文学論』;近代文学の終り)
第2部 国家と歴史(歴史の反復について(インタビュー)
交換、暴力、そして国家(インタビュー))
第3部 テクストの未来へ(イロニーなき終焉(インタビュー)
来るべきアソシエーショニズム(座談会))
著者等紹介
柄谷行人[カラタニコウジン]
1941年8月生まれ。コロンビア大学客員教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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なっぢ@断捨離実行中
8
イロニーなき終焉を自覚しつつ、それに抗う柄谷はほとんどドンキホーテ(というよりはベケット?)的に見える。が、マルクス史観でいうところの資本主義の終焉にまで歴史はまだ至っていないとの認識も一方で忘れてはいない。どのパースペクティブから見るかで当然歴史の姿は変わってくる。われわれが現在見ている終焉とは単に時代的な機制によって生み出された「風景」のようなものに過ぎず、したがって、ニーチェ主義的にあるいは唯物論的に切断する必要があるのだが、喫緊の課題は「再構築」であって「脱構築」ではないと最後に付け加えておく。2017/05/07
mstr_kk
8
再読。文学が特殊な役割を担っていた時代が終わった、という話はじつはあまり多くなくて、大半は「資本制=ネーション=ステートを揚棄するために、生産(労働)ではなく交換様式に注目しよう」という話です。しかし、労働者が消費者でもあるという点に着目したのは、別に柄谷さんが最初じゃないというか、むしろ吉本隆明の根本的な発想がそれだったのでは、と思います。そのことを柄谷さんが知らないはずがないのに、なぜか言わない……というか、吉本さんから影響されたこと自体を、もう忘れてしまっているのでしょうか。2015/11/14
あなた
5
私はこの本を読みながら柄谷行人の「終り」について考えていた。なぜ彼のコミットメントがわたしたちと縁遠いものになっていく。事実、彼は「文学」ははっきりと捨てることを明言し、産業資本主義と国家が結託した海原へと旅立っていた。漱石論をぶちかましていた「行人」はその名のごとく別の「わけわかんねえ」フィールドへと旅立ってしまった。わたしにとってこの本を読むことでひとまず柄谷行人は終わりかなあ。浅田彰も以前は教授から「彼名にやってるの?」といわれて即答できたが、いまは彼もなにやってんだかよーわからん。続2010/08/18
Gakio
3
憲法9条は、改憲したほうがいいのか、しない方がいいのか、とても難しい。2022/08/22
madofrapunzel
2
★★★★★ 今読んでもアクチュアリティのある本。柄谷氏は、定本を出版するにあたり、特に『近代日本文学の起源』が違う仕事として読めた所が大きく、インタビューや座談会でもネーション論や『ネーションと美学』が氏のこの頃の関心事であったかと思われる。「近代文学の終わり」は、全ての人にとって必読。とともに、柄谷さんのある種の諦めにはやはり動揺を隠せない。この人は文章の書き手であり、日本でこんな仕事をする人はいまだかつていなかったということを再認識させてくれる。2013/06/27