感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ドウ
2
ルナンとフィヒテという、仏独のナショナリズムを代表する(と言われる)2人の論考と、それへの解説数編を収録した本。両者の共通点として、史実から明らかなように隣国の侵略を受けた後で人々を鼓舞するものであったというのみならず、ともにキリスト教に何らかの影響を受けたネーション観・主張であること、また、フィヒテの主張は実は人種的・言語的なナショナリズムではないこと、フランス・ナショナリズムにおける主権概念の過剰な重視が全体主義を生み出すようになったことなどが新しく知れてよかった。2015/05/12
るりさん
2
国民が国民たる全体的な要件は魂だという結論について。 共同体の利益のためのこの放棄という意味で共に苦しむことは、戦時中など顕著である。確かにその際、人は特に自分がその国の民であることを実感するであろう。というよりはむしろ反対に、メディアによって煽られ、意識せざるを得ないのかもしれないが。 疑問を投げかけ、多くの人が推測するであろう仮定を答えとして一度あげて、それを否定する、という話の進め方がわかりやすくて良かった。2013/07/18
ア
1
よく引用されるために知ったつもりになっていたフィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』。単純な国粋主義ではなく、相矛盾するような話もされているため、なかなか全体として理解するのが難しい。 また、ルナンは『国民とは何か』において「国民の存在は、日々の国民投票」と述べている。私の感覚としては、「国民」なるものは、我々が能動的にコミットするものというよりもむしろ、知らぬうちに我々に張り付き、我々を規定しているもののように思う。このような感覚のほうが現代の人々には馴染むのではと思うが、ルナンの著作はどう理解すればよいだろうか。2017/06/19
Mealla0v0
0
ナショナリズムの勃興期におけるフランス、ドイツの論客の論文を収録したほか、バリバールや鵜飼哲といった現代の哲学者の論考も収めている。とりわけ、ナショナリズム論ではお馴染みのフレーズ「日々の国民投票」で知られるエルネスト・ルナンのテクストはほかに邦訳はなく、これだけでも読むべきだろう。▼興味深いのは、ルナン=フランスにおいて、ナショナリズムは常に自分で選びとり続けるものであり、他方、フィヒテ=ドイツでは言語や血に求められるものであるということ。この異なる2つのロジックは、しかし回帰を呼び込む強迫性がある。 2017/06/07
Koichi Miya
0
ある国家の成員となる基準とは何だろうか。この問いに対してルナンは「国民の存在は日々の人民投票」であると答える。すなわち、国民とはその国家に帰属したいという願望を持つ者だと。そして、血縁、言語、宗教、利害、地理など他の一切のものを国民の基準として不十分であるとする。なぜ私たちは日本国民であることに納得しているのか、移民は日本国民となり得るのか。このようなことを考えるうえでこの本は役に立つ。2016/05/04