中世教皇史

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  • サイズ A5判/ページ数 339,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784896949919
  • NDC分類 230.4
  • Cコード C0022

内容説明

歴史の中の教皇―その実像に迫る。教皇権を「本質的には中世ヨーロッパで生まれた」ものと喝破し、西欧中世の実社会の動向の中に、その興隆と衰退の実態を見定め、物語性豊かに描き出した名著。歴史の靄に包まれた「ヴァティカン以前」の教皇と教皇庁の本質を鮮やかに炙りだす。図版多数。

目次

第1章 始まり(ローマ司教;ローマ帝国下の教皇権;教皇権の解放)
第2章 中世教皇権の勃興(教皇権とフランク人;西欧人とローマ;皇帝権と教皇権)
第3章 改革の時代(改革運動の始まり;グレゴリウス七世と叙任権闘争;教皇政府の発展;十二世紀の教皇たち)
第4章 教皇君主制(中世教皇権の危機;教皇の「バビロン捕囚」;大シスマ(教会大分裂))
第5章 新時代の幕開け

著者等紹介

バラクロウ,ジェフリー[バラクロウ,ジェフリー][Barraclough,Geoffrey]
バラクラフとも。1908‐1984。イギリスの歴史家。オクスフォード大学、ミュンヒェン大学に学ぶ。リヴァプール大学(中世史)、ロンドン大学(国際関係史)、カリフォルニア大学(歴史学)、ブランダイス大学(歴史学)などで教鞭をとり、1970年よりR.W.サザーンの後任として、オクスフォード大学チチリ講座担当教授となる。ドイツ中世史・現代の国際関係史を専門としたが、研究のかたわら一般読者に向けて新聞・雑誌などにも精力的に寄稿

藤崎衛[フジサキマモル]
1975年生。2011年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。現在同研究科特任研究員。西洋史学専攻。特に中世ローマ教皇庁の制度や文化を研究対象とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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鏡裕之

2
ローマ帝国の崩壊。そして東ローマ帝国の衰退。その結果、ローマの行政をローマの大司教が管理することになる。それに伴って積み上げられていく、教皇制の道。はじめから、教皇は君主的性格を帯びていた。だが、君主にはなりきれなかった。宗教的には最高者。しかし、為政者としては王と同格。教皇制とは、宗教においても政治においても最高になろうとして、シスマを引き起こしてしまったシステムなのかもしれない。2014/02/25

人生ゴルディアス

2
カノッサの屈辱とかシスマとかアヴィニョン捕囚とか、単語だけは勿論聞いたことがあってなんとなく理解した気になっていたけど、たまに出てくると?????ってなる教皇についての本。そもそも、対立教皇が出てきて正当性をめぐるとか意味不明なんだが……的な疑問にも答えてくれる。公会議も聞いたことあるけど、結局なんなの? という感じだったので、助かりました。あと、枢機卿。これについての明快な説明がなかなかなかったので嬉しいです。フリードリヒ2世の本読みかけなので、インノケンティウス3世が出てきたらどきどきしました。2014/02/13

陽香

1
201203242014/10/10

鏡裕之

1
教皇は、教皇君主制である。つまり、「霊的な支配者」であり、「政治的な支配者」でもあった。そして教皇が「霊的な第一人者」かつ「政治的な第一人者」を目指した時、皇帝との衝突が始まる。2世紀頃の教会組織は貧弱で風前の灯火だった。ローマはひとつの首都大司教にすぎなかった。しかし、異民族の侵入による帝国の衰退で、政治的支配者を肩代わりすることになる。それでも、この頃はローマ帝国に従属している意識があった。まだ首都大司教という意識でしかなかった。教皇の意識はなかった。2014/03/11

刻猫

0
聖俗権力の相克。霊的な卓越と支配の上での優越を、いかに理論立てたのか。言葉の上ではキリスト教初期に遡ることが可能であり、しかしレオ一世によって構築され、さらに長い年月をかけて進行したプロセス。一つこ神学的な機構から、宗教的な高みへ。権力の拡充の一方で、政治的要因による制約は常に意識される。2017/12/19

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