内容説明
自閉症裁判の初のリーディングケースとして位置づけられる浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件は、なぜ、単なる「凶悪な通り魔」殺人事件として処理されてしまったのか?被害者に向き合わない加害者支援運動が無効なように、検察と一体となった報道や「責任能力」論議を垂れ流すだけのマスコミと厳罰を処して事足れりとする司法は、本質的に同じ間違いを犯している。ほんとうの意味での再犯防止につながる「障害」への理解がなければ、再びこのような悲劇はくり返されるからである。―四年に及ぶ徹底取材を経て、司法・教育・福祉・司法精神医学が問わずにきた重要課題を明らかにする問題作。
目次
レッサーパンダ帽の男が浅草に
加害者・被害者 逮捕まで
報道 隠されたこと
裁判(一) 初公判での「沈黙」
被害者(一) 家族のアルバム、その突然の空白
裁判(二) 「障害」はどう受けとめられたのか
裁判(三) 「自閉症」をめぐる攻防
加害者(一) 「なぜ顔を上げないのか」と男は問い詰められた
加害者(二) 放浪の果て
被害者(二) 「思い出も、声も忘れたくないのに…」
加害者(三) 「教え子の事件」が連れてきた場所
裁判(四) 消された目撃証言
裁判(五) 「殺して自分のものにする」と言ったのは誰か
裁判(六) 彼らはどのように裁かれてきたのか
被害者(三) 「この国を腐らせているのはマスコミのあなたたちではないか」
加害者(四) 責任と贖罪
裁判(七) それぞれの判決
最期のレクイエム
著者等紹介
佐藤幹夫[サトウミキオ]
1953年生まれ。国学院大学文学部卒業。批評誌『樹が陣営』主宰。フリージャーナリスト
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