内容説明
明治の初めから大正にかけて、「国民病」だった脚気に挑んだ二人の軍医がいた。食物に原因ありと考えて海軍から脚気を撲滅したとされる海軍軍医総監高木兼寛、もう一人は伝染病ではないかと考え、麦食を認めなかった陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)。鴎外は多くの将兵を殺したとされ、現在も批判されることが多い。しかし、当時は世界中で誰もビタミンの存在を知らなかった。実は高木の成功も偶然の産物だった。鴎外の責任の取り方はどうだったのか。医学史から見た二人の実像に迫る!
目次
第1章 脚気の始まり
第2章 西洋医学の導入
第3章 脚気への挑戦
第4章 陸軍の脚気対策
第5章 森林太郎の登場
第6章 日露戦争の脚気惨害
第7章 臨時脚気病調査委員会
著者等紹介
荒木肇[アラキハジメ]
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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田中峰和
6
脚気といえば、医者に膝を木槌で叩かれた記憶くらいしかないが、明治の軍隊では大変な論争を呼んでいた。軍人の3分の1が脚気に罹患すれば当然だ。とくに有名なのは陸軍での森鴎外の責任論。海軍の高木兼寛が白米の摂り過ぎを原因として、副食にたんぱく質を増やし改善したのに対し、鴎外は白米摂取を推奨した。陸軍と海軍の対立は明治の初めからで、医学の採用でも別れた。陸軍はドイツ医学を信奉し、海軍は英国医学を採用した。尤も、ビタミンが未発見の当時、高木も白米に偏った食事のバランスを改善しただけなのだが、結果オーライではあった。2017/12/07
namith
2
作者はどうにも結果の正しさ(高木海軍軍医)より経過の正しさ(森鴎外)に肩を持ちたいようで、作中しばし言い訳にもなっていない言い訳が出てくるのが見苦しい2017/11/30
読書記録用
0
「当時としては正論だった」として 多くの兵隊を死に追いやった 森鴎外をひたすら擁護するトンデモ本。 一方で白米の有害性を見抜いた 高木兼寛の功績を 「偶然の産物」と一蹴している。 興味本位で手に取ったが 著者の権威主義的な姿勢に 胸糞が悪くなる。2021/08/06