内容説明
一九七九年花神社から発行された詩集の復刻。
目次
朝のパン
洗たく物
村
儀式
鬼籍
きのうの顔
新年の食卓
鏡
海
夏の本〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
新地学@児童書病発動中
91
石垣りんの第3詩集。詩独特の言葉の美しさや言葉のリズムは感じられない。散文と言ってもいいような詩もある。それでもここに収められた詩は肺腑を抉る力を持っている。特に日本という国のあり方に強い怒りをぶつける「女」は読んでいて、思わず身震いしてしまう力に満ちていた。真っ当な勤め人として生きてきた詩人の言葉には、否定できない重みがある。2014/09/24
あなた
4
彼女にとって死は彼女の詩の消失点をなしている。だが彼女が詩人として他との差異を放つのは、死は詩ではないということだ。死は死でしかなく、詩に昇華=消化できないし、してもならない。死と詩の臨界を身を切りながらかわしながら描くこと。その曖昧で清冽な境目が彼女の詩にはある。詩とは臨界をみすえることなのかもしれない。死でさえも、死でないかたちで、死としてみつめること。2010/03/25
Takao
3
石垣りん第三詩集(1979年)の復刻版。25年以上経ってもまだ戦争の匂いが残っていた時代。敏感な詩人の嗅覚だからこそかもしれないが…。「私は疑い深い/前は決してそうではなかった。/たとえば小学校の先生/父、母、祖国/聖戦だって信じていた。/疑い出すとキリがない。…」(「情況」)「いつか一度、/と思う。/前にさんざんやったことを/今やれないはずはない、と。/犬をけしかける要領で/魂をけしかけてみる。/…どこにいても/ひとつの場所、遠いひとりの人の方角に/ふかぶかと頭を下げてみる。/…」(「遥拝」)2015/02/11
soto
3
詩集を始めから最後まで一冊通読するというのは、ほとんど初めてだったかもしれません。作者の人となりがこんなにも伝わってきたように感じられたのは、詩集ならではなのでしょうか。石垣りん、という名が体を現わしているような方だと感じられました。2012/09/17
niki
1
怒りや恨みや悲しみと言った人間の負の感情を静かに少ない言葉で語る。現実の虚しさを淡々と詠う。 『村』は母への想いを詠った詩。「母の墓を抱いた」少女の日。 『儀式』は人間が生きることに対して厳しく問う。 『定年』は表紙の帯にも書かれているが少し笑ってしまった。「たしかに はいった時から 相手は会社、だった。 人間なんていやしなかった。」 『空をかついで』も子どもに対して大人が渡しつける重さを詠う。 決して明るくない詩。2023/05/01