内容説明
ヒトはなぜ愛したがるのか。なぜ愛していると錯覚しがちなのか。教育の一部はまぎれもなく調教であり育児は自己家畜化/ペット化をもたらす。愛着と執着をキーワードに「動物としてのヒト」という根源的本質を解剖するあたらしい社会学。
目次
第1部 ヒト以外の動物の位置づけ(ペットへの愛着・執着;家畜とはなにか;えづけと観察の社会学;「琉神マブヤー」にみる都市化=非自然化傾向の社会学(3章補論1)
捕鯨擁護論と反捕鯨論の社会学(3章補論2))
第2部 家畜化/ペット化として対人イメージ(調教/しつけの社会学:「生徒」やくわりの再検討;制服の社会学(6章補論)
「親権」をとりまく現代的状況
愛人と恋人と配偶者
ストーキングとアディクション(9章補足))
著者等紹介
ましこひでのり[マシコヒデノリ]
1960年茨城県うまれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了(博士:教育学)。日本学術振興会特別研究員などをへて、現在、中京大学国際教養学部教授(社会学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ちくわ
1
最近、「愛」と「執着」について考えることが多いため読んでみる。本書では、前半部において、人間と動物の関係、すなわち「ペット」や「家畜」の関係について分析を加え、後半部において、人間通しの関係について分析を加える。考察の肝としては、動物であろうと人間であろうと目の前の対象を「何かの役に立つもの」(=有用性)と考えるか、「それ自体でかけがえのないもの」(=至高性)と考えるかによるのであろう。油断すると、目の前の人を「支配」したいという欲望が出現する。それは、「愛」ではなく「執着」。押しつけの善意は悪意と同義。2016/12/10
活火山
1
愛や執着など人間の持つ側面を切り口にして、人間関係から人間と動物の関係のありようにまで分析を加える。ペット、家畜から始まり、教育、調教、アディクションまで無理なく視野に入れる力量はさすが。ナショナリズムなど国への執着する側面は別の本でなされているためここでは書かれていない。分析が基本的にエゴ中心的な人間であり、この視角から、いわゆる利他性をどう位置付けるのか気になった。引用にウィキペディアが多用されているのをみるにつけ、もうそういう時代かと感無量。ただし本書をよくもわるくも薄口に見せているとも思った。2014/02/09
urin
0
制服が立場の拘束具で性の強調とか面白いこと がわかりやすく書かれてるとは思う…んだけど引用とか参考箇所にwikiとかブログとかネットの情報が多くてちょっとどうなのという印象。あと漢字に直せるはずなのにやたらひらがなで表記されてたり、どの単語だったか忘れたけれど例えば 友情 を ゆーじょー みたいなふりがなで書かれてるのはわざとなんですかね2016/05/26
天婦羅★三杯酢
0
サブタイトルが「ペット・家畜・えづけ、そして生徒・愛人・夫婦」 これらのものをすべて「うごくもの(動物)に対する人間の態度」という切り口で論じている。その視点はなかなかに面白い。2015/05/28
かんな
0
少なくとも「大学.大学院卒」じゃないとこの本は理解出来ないと分かりました(-"-;)2014/07/02