内容説明
公共空間の後退、そして解体の危機。この現在の状況に抗するために、未聞の新たな公共性、すなわち、まったき他者たちの公共性を開く。
目次
1 法と正義のあいだに―デリダ、ベンヤミン、アーレント(脱構築の正義と正義の脱構築;正義と最終的解決 ほか)
2 公共領域における主体と他者―アーレント、カント、ハイデガー(私的領域と公的領域;公共空間における主体の脱構築 ほか)
3 正義の表象と起源の暴力―ホークス、アーレント、デリダ(暴力から創設へ;『独立宣言』テクスト分析 ほか)
4 カタストロフィーのなかの公共性―アンテルム、ブランショ、アーレント(私的利害と公共性;私的利害切断の要件 ほか)
著者等紹介
梅木達郎[ウメキタツロウ]
1957年生。東北大学大学院国際文化研究科助教授。専門はフランス現代文学・現代思想
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
白義
12
デリダとアレントを対照させ、比較するだけでなくその両者の議論の接点を探り続けることで「他者と共にある公共性」の困難な思考の領域に読者を誘う迫真の一冊。脱構築が法と正義につきまとう暴力を常に暴露することで、アレントが想定するような「自己や共同体の利害や自認を越えた他者との公共性」もまた可能になり、またそれが脱構築という相対化の先にあるものなのだという、明晰だが堂々とした議論の展開がこの手の本としては珍しい。ハワード・ホークスの映画分析や、大災害や虐殺という危機からの公共性というサブテーマも充実した重要な一冊2019/01/24
Cell 44
0
「もしや、われわれが唯一共有しているのが共同体の破局そのものだとすれば、この破局の中にこそ「共に在る」ことの倫理を探しに行かなければならない」(p.215)デリダ(脱構築)とアーレント(公共性)の優れた対話。繰り返しデリダとアーレントを互いに脱構築させ、カタストロフィーという人間が私的利害を最も追求する場にまで公共性の概念を広げてみせる、正面から正義のアポリアに向き合った書物。第三章でハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』を主軸にデリダとアーレントのアメリカ独立宣言の読みを比較するところなどとても面白い。2016/02/13