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出版社内容情報
ナンシーの代表作。解釈の閉域からパルタージュの共同体へ。パルタージュ[分割=分有]された複数の独異な声の対話による共同体(共同-存在)についての未聞の責務が開かれる。
内容説明
解釈の閉域からパルタージュの共同体へ。他者から他者への、君から私への、われわれからわれわれへのパルタージュ。有限あるいは無限の意味の解読から、パロールのパルタージュ「分割=分有」された贈与の、無限に有限的な告知へ。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
35
簡単に回収できないような複数的なイメージの文章なので読み辛いですが、恐らく言っていることは複雑ではないようにみえます。解釈学の系譜は、弁証法的で同一化を志向するため、否定的に扱われています。それに対してヘルメーネイア的な分割=分有(パルタージュ)は、神的なロゴスの告知において有限化される。神的なものは、声の贈与と分配がある。分有されているのは神的な声ということですが、それでは単なる宗教ですし、それがなぜギリシャ的ミメーシスと繋がっているのかがよく分かりません。最後の共同体に繋がるところは非常に単純化されま2019/06/15
しゅん
16
曲がりなりにもバタイユを10年近く読んでいるのでナンシーにもすんなり入れるかと思いきや、冒頭で「解釈学(ヘルメーネイア)」という言葉につまづきいきなり閉め出しをくらってしまった。かろうじて読み取れたのは解釈は決して能動的なものではなく、それは告知されるもの、詩のように所有することなく自らの外に置かれているもの、というところだろうか。ハイデガーとプラトンの読み直しが必要だな。閉じることなく常に開かれているというところは後の共同体論にもつながるが、それはバタイユの近似概念「交感」とどう異なるのだろうか。2017/04/23
Ecriture
5
シュライエルマッハー、ガダマーらの解釈学が本源的で真なる意味への回帰を想定していたのに対し、ハイデガーのヘルメーネイア(ヘルメーネウエイン)論を参照し、テクストや対象ではなく現存在自体の実存論的先取り(先行構造)を受容的に告知されるものとしての「解釈」を論じる。能動的な解釈なるものはありえない。その後ハイデガー的な「対話」を越えて、ヘルメーネイアを神的なロゴスの発話におけるパルタージュとして規定し、無為の共同体論へと引き継いでいく。神は脱自において、複数の声の差異において実存する。2012/08/31
panda_pitch
0
現在のナンシーの「神」概念とは時間性のとらえ方に違いがみられる。といってもナンシーは否定するだろうが。2014/12/16