内容説明
清冽な感性にユーモアの滲む著者20代の傑作8篇を収録。
著者等紹介
目取真俊[メドルマシュン]
1960年、沖縄県今帰仁(なきじん)村生まれ。琉球大学法文学部卒。1983年「魚群記」で第11回琉球新報短編小説賞受賞。86年「平和通りと名付けられた街を歩いて」で第12回新沖縄文学賞受賞。97年「水滴」で第117回芥川賞受賞。2000年「魂込め(まぶいぐみ)」で第4回木山捷平文学賞、第26回川端康成文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ダイ@2019.11.2~一時休止
76
8編収録の短編集ですが単行本未収録は2編のみ。つまり自分も未読は2編のみだった・・・なんか損した気分。2017/05/29
翔亀
47
【沖縄66】芥川賞受賞「水滴」より前の初期短編8つを収める。作家二十代の作品で、みずみずしい感性による繊細で、実験的手法の作品が多い。その後の沖縄戦など<沖縄の怒り>は表出されておらず、少年時代や日常生活を題材にとっている。しかし、作家の視線は定まっている。魚の目であったり、文鳥であったり、蜘蛛であったり、障がい者であったり、呆け老女であったり、<弱いもの>への暴力や攻撃(この描写がヒリヒリする痛痛さ)が、逆襲されるという構図になっている。いわば穢れの神聖への反転。そして、見え隠れするのが、あるいは↓2022/02/07
りつこ
37
辛かった…。非常に美しい文学的な文章なのだが、内蔵をえぐり出されるような痛みを伴う読書。全編に怒りと悲しみと生と死が溢れていて圧倒され、見たくないものを目の前に差し出され思わず目をそらす。救いはそれでも生きていることと、死はすべての終わりではない、ということか。2015/05/10
燃えつきた棒
31
「魚群記」: 少年がテラピアを弄ぶ。 猫がトカゲを、ロシアがウクライナを、イスラエルがパレスチナを、入管が難民申請者を、事業者が外国人技能実習生を、弄ぶように。 そして、それはまた旧日本軍が沖縄の人々を弄んだやり方のようでもあり、日本政府が沖縄に対して行なってきた仕打ちのようでもある。 そして、沖縄の人々もまた。/ 【僕が放つ矢の鋭い針先がその標的を貫く。しなやかに跳ねまわる魚の眼球から僕は針を抜きとって、ぽつりと空いた傷口の上に指先をあてる。→2023/12/09
しゅん
17
汚濁の中で透き通った何かが微かに光を放つ。消えない屈辱と重い記憶を背負いもがく人々の精神を、濃厚な描写と大胆なメタファーを用いて書き取った傑作短編集。蟻や蜘蛛、牛や魚、あるいは糞尿や精液に人間の生と死のイメージが重なる。20代らしい欲望の迸りと、20代とは思えない成熟が同時に宿る文章から放たれる冷たい熱に心がヒリヒリした。ここまで重たい怒りを感じさせる作家はなかなかいない。大江健三郎や中上健次が切り拓いた文学の大地に沖縄の土が混ざり熟成された後には、強烈なリアリティを伴う悲しい幻想が生み出された。2017/02/07