内容説明
漁業・紡績の町から石油化学コンビナートの町へ。そして、海と空は汚された。“金じゃない、青空を返せ”の声はかき消された。市長、議員、役所、企業、革新政党や労組は、何をしたのか。人々のささやかな暮らしより「経済成長」優先の者、もとの暮らしを取り戻したい者、立場をするりと入れ替える者、そうした人間の姿を、著者は四日市で記録しつづけた。
目次
1 生活記録運動のころ
2 くさい魚とぜんそく
3 四日市ぜんそく公害訴訟
4 民兵よ、いでよ
5 反公害運動は、住民が主体で
6 一九七二年・四日市公害の「戦後」
7 このごろの革新ってどうなっとんのや
著者等紹介
澤井余志郎[サワイヨシロウ]
1928年静岡県雄踏町に生まれる。1945年浜松工業学校紡織科卒業。翌年、四日市の東亜紡織泊工場に就職。中学生の生活綴り方を集めた『山びこ学校』に触発され、工場の女子工員らとともに生活記録運動をはじめる(「生活を記録する会」)。1954年地区労働組合協議会での臨時職員を経て事務局員(1990年定年退職)。1962年ごろから四日市公害が顕在化すると、被害住民たちへの聞き書きをはじめ、ガリ版文集「記録『公害』」(1968年~1999年)を発行(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。