出版社内容情報
■書評より
さまざまの「迷宮的なもの」の分析を通じて、なぜ、人間が迷宮的なるものに熱中するのかを読み解いていく。豊富な図版に導かれて読みすすめていくと、なるほど人間は、古来、沢山の迷宮的なるものを作ることに熱中してきたのだということがわかる.....。(立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』より)
内容説明
半牛半人の怪物ミーノータウロスが幽閉されたクノーソスの迷宮―この不気味な建造物に象徴されるように、迷宮には血と闇と謎のイメージがこびりついている。内臓人間、祝祭劇、聖山、巡礼、洞窟、塔、都市、古代遺跡―著者の鮮やかな手際によって、古今東西の文明の中の「迷宮的なるもの」が、実は意思と理性とプランの場所でもあったことが暴かれる。そして、謎が存在するかぎり、われわれの住む世界も迷宮を産み落とし続けてゆくのだ。
目次
第1部 迷宮と「迷宮的なるもの」(「迷宮的なるもの」の発見;「迷宮的なるもの」の諸形式)
第2部 「迷宮的なるもの」の諸相と変遷(内臓と擬人化;行列と祝祭劇 ほか)
余論(都市隠喩としての古代後期の迷宮;建築における領域的身振りと古代オリエント文化の都市儀礼 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
takao
2
ふむ2023/03/30
esehara shigeo
2
いわゆる建築論的に「迷宮」というのが、それに類縁するものと密接な関係にあるのか、ということを論じようとしているのだが、これらの背景にあるのは「迷宮」というのが如何に世界を物語化(=巡礼)し、読解(=洞窟)していったかという話であって、そのまどろっこしさは悪い意味で「迷宮的」であり、直接的に「迷宮なるもの」について読みたい自分にとっては、序論のスリリングさと、中間の退屈さの落差に驚いた。自然を人工物として捉えるというのも、余り目新しい論点ではないし。一つの総論としは申し分ないが、それ以上のものではない印象。2019/07/23