内容説明
世論の支配に屈服する、大衆政治家の哀しき実態。
目次
第1章 四凡人民政問答
第2章 私の政治家見験録(田中角栄には会えなかった;秦野章は我が家の恩人;「陣笠連中」の正体をみた;加藤紘一は私を「書き屋」と呼んだ;中曽根康弘の当節大勲位形木;小沢一郎の「大口笑い」と「不気味な沈黙」;亀井静香はあまりにも善人;新井将敬と中川昭一の切ないばかりの焦燥感;小泉純一郎のハシャギは狂相を帯びていた;鈴木宗男は大衆的、さらにまた大衆的;民主主義が政治家を真底まで腐らせた)
第3章 文明の敵・民主主義
著者等紹介
西部邁[ニシベススム]
1939(昭和14)年、北海道生まれ。東京大学経済学部卒。評論家。東大在学中は東大自治会委員長、全学連の中央執行委員として「60年安保闘争」で指導的役割を果たす。61(昭和36)年3月、左翼過激派と訣別。横浜国立大学助教授、東大助教授を経て、86(昭和61)年、東大教授(社会経済学専攻)に就任するも、88(昭和63)年、辞任。旧来の経済学を批判して経済行為の象徴的意味の解釈を指向する「ソシオ・エコノミックス」で注目され、社会経済学の構築をめざした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さきん
15
世論の支配に屈服する、大衆政治家の哀しき実態! 「民主主義」という空念仏に耽溺する現下の日本において、なぜ政治家は「ゴロツキ」の所業をなすのか? 政治家の「人格」を俎上に乗せ、その顔に張りついた「仮面」を明らかにする。2016/02/17
gtn
8
小沢一郎は変節漢である。かつ、剛直な手法はことごとく失敗している。それでもなお、政治家として生き続けたのは、彼が豪腕だと幻惑されたマスコミの責任が大きい。2019/07/17
マウンテンゴリラ
5
西部氏にしては珍しく私的感情を顕わにしたとも受け取られる様な過激さにやや驚いたが、各政治家に対する評価には概ね賛成で、特に小泉純一郎元首相と小沢一郎氏に対する評価については、多少胸のすくような思いもあった。両氏に対して私が漠然と感じていたような政治家としてという以前に組織のリーダーとして品格や重厚さに欠け、単にポピュリズムや数の論理を自己顕示のために利用しているに過ぎないという見方も当たっていたのかも知れないと、勝手ながら多少人物を見る目に自身を持たせてもらった。2010/09/30
Nobuyoshi
3
私と同い年の小沢一郎には長い間期待もし総理になるのを願っていたが、西部邁の「ゴロツキ」呼ばわりも腑に落ちるところがある。小沢一郎から政治理想の話など聞いたことがなかったよね確かに。2016/02/20
Toshio Iwamura
3
かつて世俗批判で学生時代の私を魅了した西部邁は、小沢一郎への罵倒を表題にした週刊誌の一記事のような世俗的な本を出し、かつて自民党のホープとして権勢を極めた小沢一郎は国民から総スカンに近い状況で権力から遠ざかりました。そもそも24年前の「小沢幹事長」の時代、あれから20年以上経ってなお小沢一郎が首相になれないという事態を誰が想像し得たでしょうか。